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その3 でもやっぱり、ペトロが好き・・・
ペトロという人物は、もともとガリラヤ湖の漁師でした。
旧約聖書の知識も、ガリラヤの外の事は何も知らないような人でした。いわゆる、
地中海の大海原の大魚を捕ったり、海外へ行ったりという経験もない、狭い視野でし
か物事を見ていないような人だったようです。
このペトロさん、イエスの弟子になってからも、師のイエスに叱られてばかり・・・。
あるときは、慣れ親しんだガリラヤ湖でおぼれそうになり、「信仰の小さき者よ」と
怒られてしまう。またあるときは、イエスに「ご一緒なら牢屋に入っても、死んでも
かまわない」と言っておきながら、人から、「あなたは、あのイエスの弟子じゃない
か?」と問われて、恐れるあまりに「あんな人は知らないっ!」と、三回も即答して
しまったり・・・。
さらには、イエスさまが逮捕される時など、持っていたナイフで、ある男の耳を切
り落とすといった凶暴な一面も持つ、そんな弟子らしくない弟子だったのです。
考えるより先に行動し、そのつど失敗するという、有言不実行な性格から、一見、だ
めな弟子と思われがち、そんなペトロさんだけど・・・実際には、イエスさまに最も
愛されていたのではないかとも思うのです。
「できの悪い子供ほどかわいい」じゃないけど、積極的に質問し、叱られてもめげ
ずに次の質問をするようなペトロを、気にせずにはいられないだろうな〜と。
復活したイエスさまは昇天する前に、ペトロだけには「私を愛しているか?」と、三
度も言われて再確認されている。それなのに、当のペトロは、自分のことを差し置い
て、年下の弟子、ヨハネを指して、「この人は迫害されますか?」というような、興
味本意の質問をして、また最後に叱られるという、憎めないヤツ。
使徒パウロのようなエリートでもなく、ヨハネのように文学的な福音書を書く才能
もなく、ギリシャ語で手紙を書くことにも、苦労したような、“無学の人”ペトロ。
しかしその分、多く祈られた弟子のペトロ(ルカ22:32)。しかも、パウロのことを
語っている中で、結論的に、あのような手紙は「わたしにも難しい」と暴露(?)ま
でしているペトロ(ペトロの手紙二3:16)。
しかしイエスから愛されたペトロは、このような名言を残している。
「愛する人たち、このことだけは忘れないでほしい。主のもとでは、一日は千年の
ようで、千年は一日のようです。・・・」 (ペトロの手紙二3:8)
僕はこの言葉を、「人生なんてあっという間だよ。終わりの日なんて一瞬のうちに
来てしまうよ。でもそれは、僕らにとって希望だよ。神の約束だよ。」って言ってい
るように今は聞こえる。確かに彼は、真理について悟っていた!と思う。

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