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その9 セントルイスの神学生日記A


10月31日はハロウィーンの日だ。アメリカ人はクリスチャンでもハロウィーンを 祝いたがるが、私はあまり好きではない。お化けの格好をした子どもたちが、「トリック オア トリート?」と言いながら、近所の家をまわるのは、日本の節分の豆 まきか、正月の獅子舞とでも思えばよいのだろう。いずれにしろ、この日は金曜日の うえ、昨晩遅くまで、教義学の宿題をしていたせいもあり、留学生のハロウィーン・ピザ・パーティーにも出ず、子どもたちにキャンディーもあげずに、早く寝てしまっ た。

スランプについて。神学の勉強ばかりしていると、聖書がテキストのように見えて、 デボーションもできなくなるときがある。・・・「最後の一葉」で有名なO・ヘンリは、「スランプになると、三ヶ月ものあいだ一行も書けないことが、しばしばある。そんなときには、強いて書こうとせず、町へ出てぶらつくことにしている。町へ出て、群衆のなかへ入って行き、実人生の鼓動と迫力を、じかに肌で感じとるのである。物語作家にとって、これ以上の刺激剤はないと思う」と語ったという。私にとっての刺激剤とは、やはり強いてでも、朝のチャペル礼拝に出ることだろう。説教者の語り口が、聖書の引用聖句が、賛美歌の歌詞とメロディーが、心を和ませて、失いかけたやる気を奮いださせてくれる。

最近、六本木教会のY兄と、インターネットで、聖研をしている。Y氏は携帯から、タイムリーに返信してくれるので、こちらとしても張り合いがある。新約聖書のクラスを前クオーターに取ったので、「ヤコブ書」をテキストに選んだ。このクラスは、神学校の単位には含まれない初級的学びであった(しかし受講し、期末試験をパスすることを要求されていた。)が、オズワルド博士は、新約聖書学、特にルカの研究者なので勉強になった。Y氏との聖研は、要約するとこのようなものだ。

「ヤコブ書」の研究をしてゆきたいと思います。この学びのアウトラインは、
@ まず、著者はだれか?という問題。
A そして、この手紙が書かれた背景について。
B さらに、旧約聖書との関わりについて。これらの三点について、一章から少しずつ学びながら、進めていきたいと思います。(引用箇所は、ちょっと面倒でも引いて調べてみましょう!)まず、手紙のはじめに、「神と主イエス・キリストの僕であるヤコブ」(1:1)とあります。このヤコブさんとは、いったいだれでしょうか。・・・聖書には、色々なヤコブが登場しますが、とくに可能性があると思われるのは、「主の兄弟ヤコブ」(ガラテヤ1:19)という人物です。ご存知のように、ナザレのイエスには、何人かの兄弟、姉妹がいました。「・・・母親はマリアといい、兄弟はヤコブ、ヨセフ、シモン、ユダではないか。姉妹たちは皆、我々と一緒に住んでいるではないか」(マタイ13:55〜56)。 福音書執筆者ヨハネによれば、以前はこのヤコブも、兄のイエスを信じていなかったようです(ヨハネ7:5)。そのヤコブは、復活なさったイエスに出会い(1コリント15:7)、使徒たちやイエスの母らとともに、心を合わせて熱心に祈るまでになりました(使徒1:14)。以前は、信じられなかった者が信じるようにされています(マタイ13:57)。
「ヤコブ書」はごらんのとおり、ユダヤ人に宛てて書かれており、旧約の知識を必要とします。これについては、おいおい学んでゆきます。ご心配無用(?)。まず、使徒言行録時代の背景と、初期のユダヤ人キリスト者が抱えていた問題について知ることが求められています。そこで、著者問題の次に、「使徒言行録」1章から12章の終わりまでを読み、その背景を学びたいと思います。視点はとにかく、@ どうやってユダヤ人が異邦人信仰者を受けいれていったのか、また、A 彼らがどのように、ユダヤ教から主イエスの教えを信じるに至ったかという二点です。聖書を細かく読むことも大切ですが、背景や流れをつかむこともよいことです・・・。さて、「ヤコブ書」はごらんのとおり、ユダヤ人に宛てて書かれた、初期の手紙です。(新約の書簡のなかで、一番先に書かれた可能性もあるとのこと。)そのため、使徒言行録時代の背景と、初期のユダヤ人キリスト者が抱えていた問題について知っていただきました。
「ヤコブ書」一章をもう一度読んで、以下の質問にお答えください。ご返答よろしくお願いします。(1)ユダヤ人キリスト者は、どのような「試練」(1:2,12)に遭っていたのでしょうか?(参照、1:1〜8、12〜18) (2)貧しい者と富んだ者についてどう考えますか?イエスのたとえ話「金持ちとラザロ」を参考に。 (参照、1:9〜11、ルカ16:19〜31、サムエル上2:8) (3)あなたの実践とは?(参照、1:19〜27)

・・・「ヤコブ書」の研究の回答を送ります。(Y氏の回答。)
(1)試練:自分自身の欲望→誘惑→罪→死。
(2)貧者と富者:地上での貧者は天国では神によって高められ富者は草花の様に滅び、低くされこの二者の隔たりは大で、とても行き交う距離でない。
(3)実践とは?:御言葉を行う、自分の心を欺かない人になる事…以上クリスチャンに対しては、時代・場所を越えて迫害がある。
・・・Y兄、ごくろうさま。一章では、試練について考えました。試練を試練と思わない弟子たちがいたことも、覚えておきたいものです(使徒5:41)。・・・と まあ、こんな感じで学んでおります。

神学校のカフェテリアでは、よく留学生同士で食事する。中国人の友人らと話してい て思ったことは、なぜ日本人は漢字だけでなくひらがな、カタカナを用いるのかということ。中国人には不思議に思えるらしい。私から言えば、カタカナを使わずにどうやってアメリカ人名などを表現するのだろうと思ってしまうが・・・。いずれにしても日本人はいつから漢文から日本人独自の日本語を使い出したのだろうか。知らずにはいられないことだと思う。だれか教えて!

私の神学校には、約180人の一年生がいる。同じカリキュラムで、学んでゆく私の同級生たちが、どのようにして、それぞれの個性をもって成長してゆくというのか?不思議な感じだ。まけないぞ!

私の聖書は注釈付、NKJV(ニュー・キング・ジェームズ・バージョン)だ。皆はコンコーディア・バイブルのNIV(ニュー・インターナショナル・バージョン)などを使っているが、私にはその英訳があまり気に入らない。しかしルター派的な注釈が付いてあるので、それは読まねばならないが。「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。」(ヨハネ3:16)という聖句を比較しても、私の聖書の方が、響きがいい。 “エターナル”より、“エバーラスティング(永遠)”という語感がすきだ。それにギリシャ語聖書にも近いと聴いた。
“For God so loved the world that He gave His only begotten Son, that whoever believes in Him should not perish but have everlasting life.”
日本語の方は新共同訳。最初の聖書がボロボロになってしまったので、今使っているのは二冊目だ。日本語・英語の聖書、どちらも赤線を引きまくって自分のものにしている最中なのだ。最近、新・新改訳が出たと聴く。早く手にしたいものだ。

イリノイ州の韓国人教会へは二度行った。アメリカ人の神学生の夫をもつジン婦人と、友人のキム兄にそれぞれ連れて行ってもらい、車中、深い会話ができた。韓国のルーテル派教会は歴史が浅いと聞いた。また、私の神学校にいる韓国人のジー博士が、初代の議長であったと知り、驚いた。ジー博士は、朗らかな面持ちの年配の方で、日本語がとても流暢。でも岡崎師(西日本福音ル)によると、マン・ツー・マンでの指導では大変厳しいらしい・・・。今、岡崎師はクリスマス休暇もなく、勉強に没頭されています。

金曜日の夜、神学校のジムでバスケの試合を観た。友人のジョエル・ワーシュレッガー(元VYM。NRK杉並教会で奉仕。)がとても良い、ポイント・ガードであることを知り、感動した。相手は、ベテル・カレッジというチームで、試合のほうは20点差をつけられて負けてしまった。前半はリードしていただけに、悔しい試合になってしまった。

前クオーターのクラスは、三つともパスできた。特に教義学のクラスは、ヒーヒーいいながら学んでいたので、クリアできて感謝でいっぱい。英語に多少の自信もつい た。読みを速くすることと、小論文をもっとうまく書けるようにしてゆきたい。

私は今クオーター、ヘブライ語と教義学の「ルター派の心(マインド)」というクラス、そして実践神学の三つを取っている。ヘブライ語は、なんと水曜日を除き、毎日、午前二回のクラスがあり、クイズ(小テスト)に追われている。でも講義のビデオを借りてきて見たりしてなんとかやっている。旧約聖書が読めるようになるため
に、特に気合を入れている。もっとも難しいクラスは、またしても教義学のクラス。“十字架の神学”とはなんぞや、というようなことを、G・フォアデというミネソタ州、ルター神学校の教授の書いた本から学んでいる。

マット・モーテンソンというクラスメートに連れられて、セント・ルイス大学へゆく。体育館で柔道をするため。中々の設備で驚いた。さすがに柔道用の畳はなかったが、マットシートをいくつもつなげて、柔道のできる環境だった。先生は、イラン人のカミヤ氏。大学の講師ではなく、コンピュータ関係のビジネスをしているとのこ と。この先生は、なかなかの柔道家で、日本の講道館へもときどきゆき、練習するというだけあり、形(かた)の基本をみっちり教えていた。マット君の昇級試験が近いらしく、私はその相手をさせられ、散々投げられた。でもよい勉強になった。夜、そのカミヤ氏のアパートでクリスマス・パーティーがあった。マット君とその奥さんに、カミヤ氏、そのルームメイトのイラン人男性、その他2人の女性がいた。聞いてみると、皆クリスチャンで、日本の文化のことなど色々な質問を受けた。その後、カミヤ氏の趣味らしいB級アクション映画を二本も観た。食事の方は、スナックやチーズ、ハム、生野菜。ノンアルコールの炭酸ぶどうジュースが美味しかった。

日曜日の午後、日本語集会(JCF)の仲間と、映画“ラストサムライ”を観に行く。なかなか良かった。特に、日本はあんなに綺麗だったか、と異国の地で涙した(?)。横浜の港から、富士山がかなり大きく見えたのには、笑えたが・・・。その後、代表のジェニング先生の家でクリスマス・パーティ。サトミ婦人のお手製“かんぴょう巻き”には感動した。みんなで映画について感想を言い合い、楽しい時を過ごした。アメリカ人の感想は、要約すると、“サムライ(侍)”の定義に関する意見が主で、渡辺謙ふんする、勝元の死に涙したというようなものだった。我々日本人からすると、“侍魂”というものは、定義できるものでもなく、ましてや負けて切腹するなどという“恥(はじ)”の精神にはなんの魅力もないのだが・・・。映画の時代設定は、1800年後半の明治時代だが、戦国時代の武将のような勝元という人物が、明治天皇や高官たちから阻害されてゆくというような話。フィクションだが、日本人にはないセンスも感じた。おすすめ!

前回の日本語集会(JCF)では、私が聖書研究を担当した。内容は、「エマオへの旅路で」 (ルカ24:13〜35)より。神学校で、下舘先生の論文を入手して読んで感動したため、この箇所にした。趣旨は、二人の弟子の目がさえぎられ、開かれ、復活のイエスの語りに心が燃えたという、福音そのもの。いいディスカッションができた。感謝!

最近、教義学で学んだ、気に入った御言葉を・・・。「十字架の言葉は、滅んでいく者にとっては愚かなものですが、わたしたち救われる者には神の力です。」(1コリント1:18)

© Roppongi Lutheran Church, JLC
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