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その11 主日の黙想 No.4
『平和 - 身を低くすること』
「わたしは柔和で謙遜な者だから、わたしの軛を負い、わたしに学びなさい。
そうすれば、あなたがたは安らぎを得られる。」〈マタイ十一・二九〉
イラク戦争、何か泥沼化してしまいました。パレスチナでも憎悪と対立はもう
取り返しが付かないほどに深まってしまいました。「平和を実現する人々は、幸
いである、/その人たちは神の子と呼ばれる」、主イエスはそう言われました
が、「平和を実現する」、これは前の口語訳では「平和をつくり出す人たちは、
さいわいである・・・」とあったように、やはり平和は作り出さなければならな
いのでしょう。どうしたらす平和を実現する、作り出せるのでしょうか?
マルチン・ルターが、ある時、子どもたちにこのように語りました。「二匹の
山羊が流れの上の狭い橋の上で遭う場合、彼らはどうするだろう。彼らはもとへ
は戻れない。道があまりに狭いから互いに通り抜けることもできない。そうやっ
て衝突するなら、双方とも水中に落ち込んで溺れるだろう。彼らはどうするだろ
うか。与えられる唯一の方法は、一方が伏して他方がその上を踏んで行くこと
だ。かくて双方通り抜けることができるのだ。
人間同士の間にもかくのごとき関係が存すべきはずだ。他人と争って他人に勝
つより自己の上を他人をして踏ましめて行くべきだ」と。
主イエスこそ並びもなく最も高い人であるにもかかわらず、最も身を低くして
私たちをして踏ませ通り行かせてくださいます。だから、「わたしの軛を負い、
わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたは安らぎを得られる」とは、わた
したちもそのように生きなさいという招きでしょう。相手に自分を踏ませるなん
ていやだ、そう思っている内は、決してテロも戦争も、そしてわたしたちの間か
ら対立、衝突はなくならないでしょう。でも、相手に立ちはだかって力まかせに
押し通す人よりも、自分が身を低くして他人をして自分の上を踏み行かせ、結局
は自分も通り抜けて行く ― こうしたことができる人こそ強い人、賢い人、そし
て自由な人なのです。いっぺんにできなくても、失敗してもいいから少しづつ祈
りながら実践してみませんか?きっと主イエスは安らぎを与えてくださいます。
大和 淳牧師

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