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その14 主日の黙想 No.7
『訪ねるキリスト』
見よ、わたしは戸口に立って、たたいている。だれかわたしの声を聞いて戸を
開ける者があれば、わたしは中に入ってその者と共に食事をし、彼もまた、わた
しと共に食事をするであろう。 〈黙示録三・二〇〉
クリスチャンの詩人で河野進という人が書いた『今あなたは微笑んでいま
すか』という詩集があります。その中の『訪ねられる』という詩。
主イエスは毎日一軒一軒訪ねられる
あなたがたは今、信仰の家にいますか
あなたがたは今、祈りの家にいますか
あなたがたは今、喜びの家にいますか
あなたがたは今、奉仕の家にいますか
あなたがたは今、伝道の家にいますか
あなたがたは今、感謝の家にいますか
あなたがたは今、希望の家にいますか
誰でも良い家庭をつくりたいと思います。私たちはどんな家庭(教会)をつくっ
ているでしょうか、あるいは作ろうとしているでしょうか。よい家庭(教会)に
は、必ずそこに中心があると言います。しかし、その中心に何をおいているの
か。そのように信仰、祈り、喜び、伝道、感謝、希望、奉仕、それがあなたの家
(教会)にありますか、そう問われています。この方はかつて難病といわれ、重い
差別を受け続けたたハンセン氏病の苦しみをもつ人々のために尽してきた人です
から、真に重い言葉となって胸を打ちます。
でも、よく考えてみれば、信仰、祈り、喜び、伝道、感謝、希望、奉仕、その
全てがこの主イエスがわたしたちにくださること ― そうか、河野さんは、た
だ問いただすために、この詩を歌ったのではなく、だからこそ「主イエスは毎日
一軒一軒訪ねられる」、だから、毎日、わたしの家にこの主イエスをお迎えしよ
う、そういう祈りをこめておられるのだ、と気づきました。
イエスさまをお迎えする、それはわたしの家(教会)が、つまり、わたし自身が
日々、信仰、祈り、喜び、伝道、感謝、希望、奉仕に満たされ続けることです。
主イエスは、そのために「毎日」、わたしの戸をたたいてくださっています。
大和 淳牧師

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