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その22 主日の黙想 No.16
『神があなたにどんな大きなことを』(二)
「『自分の家に帰りなさい。そして、神があなたになさったことをことごとく話して聞かせなさい。』その人は立ち去り、イエスが自分にしてくださったことをことごとく町中に言い広めた。」ルカ八章三九節
以前にも少しご紹介いたしましたキリスト教信仰の詩を綴り続けた故水野源三さんという詩人をご存じでしょうか。一九四六年、水野さんは小学校四年生の時、集団赤痢にかかり,高熱による脳性麻痺で目と耳以外のすべての機能を失ってしまいました。苦悩の日々を送っていた三年後のある日、一人の牧師から1冊の聖書が贈られました。これが契機となって、やがて水野さんはキリストと出会い、洗礼を受けます。そしてお母様の助けで眼のまばたきで詩や歌を作り始めました。水野さんは四十七歳で天に召されたのですが,死の直前まで信仰詩を作り続け、生前に三冊,死後にも一冊の詩集が出版されました。その詩の一つ一つが彼の信仰から生まれたのです。
彼が臥していた六畳間が水野さんの生活空間のすべてでしたが、水野さんの眼が常に届くところにルーベンスのキリストの絵があり、そしてもう一つの額には、(旧教団)讃美歌三三二番の第二節が大きく書かれていたといいます。それはこういう詞です。「主は御父の もとをはなれ、わびしき世に 住みたまえり。かくもわがために さかえをすつ、われは主のために なにをすてし。」
この讃美歌の詞のように、水野さんはいつも主の十字架の恵みを仰ぎつつ、それに応えようと生き続けられたのです。水野さんの詩の一節にこんな詩があります。「私たちを救うために/御子を十字架につけられた 神様の御旨を知るたびに/新しく感動させて下さい」。ものも言えない、手足も動かない。その水野さんに出来ることは、ただ「新しく感動する」こと、それを瞬きで表現することだけでした。そして、それだからこそ、どんな小さな恵みにも深く感動し、その喜びを多くの人に伝えられたのです。「かくもわがために さかえをすつ、われは主のために なにをすてし」、この恵みを深く思う時、わたしたちもきっと日々どんな小さなことでも本当は感動することができるのではないでしょうか?そして、その感動を伝える、それが伝道なのです。(梅染信夫著「栄光、神にあれ」讃美歌物語、新教出版社を参考しました)
大和 淳牧師

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