2000年8月20日(聖霊降臨後第10主日) 聖書日課と説教

第1日課   エレミヤ書23:1−6

 「災いだ、わたしの牧場の羊の群れを滅ぼし散らす牧者たちは」と主は言われる。それゆえ、イスラエルの神、主はわたしの民を牧する牧者たちについてこう言われる。「あなたたちは、わたしの羊の群れを散らし、追い払うばかりで、顧みることをしなかった。わたしはあなたたちの悪い行いを罰する」と主は言われる。「このわたしが、群れの残った羊を、追いやったあらゆる国々から集め、もとの牧場に帰らせる。群れは子を産み、数を増やす。彼らを牧する牧者をわたしは立てる。群れはもはや恐れることもないと主は言われる。見よ。このような日が来る、と主は言われる。わたしはダビデのために正しい若枝を起こす。王は治め、栄え、この国に正義と恵みの業を行う。彼の代にユダは救われ、イスラエルは安らかに住む。彼の名は「主は我らの正義」と呼ばれる。

第2日課      パウロのエフェソ人への手紙2:11−22

  だから心に留めておきなさい。あなたがたは以前には肉によれば異邦人であり、いわゆる手による割礼を身に受けている人々からは、割礼のない者と呼ばれていました。また、そのころは、キリストとかかわりなく、イスラエルの民に属せず、約束を含む契約と関係なく、この世の中で、希望を持たず、神を知らずに生きてきました。しかし、あなたがたは、以前は遠く離れていたが、今や、キリスト・イエスにおいて、キリストの血によって、近い者となったのです。
実に、キリストはわたしたちの平和であります。二つのものを一つにし、御自分の肉において敵意という隔ての壁を取り壊し、規則と戒律ずくめの律法を破棄されました。こうして、キリストは、双方を御自分において一人の新しい人に造り上げて平和を実現し、十字架を通して、両者を一つ体として神と和解させ、十字架によって敵意を滅ぼされました。キリストはおいでになり、遠く離れているあなたがたにも、また、近くにいる人々にも、平和の福音を告げ知らされました。それで、このキリストによってわたしたち両方の者が一つの霊に結ばれて、御父に近づくことができるのです。従って、あなたがたはもはや、外国人でも寄留者でもなく、聖なる民に属する者、神の家族であり、使徒や預言者と言う土台の上に建てられています。そのかなめ石はキリスト・イエス御自身であり、キリストにおいて、この建物全体は組み合わされて成長し、主における聖なる神殿となります。キリストにおいて、あなたがたも共に建てられ、霊の働きによって神の住まいとなるのです。

福音書  マルコによる福音書6:30−44

  さて、使徒たちはイエスの所に集まって来て、自分たちが行ったことや、教えたことを残らず報告した。イエスは「さあ、あなたがただけで人里離れた所へ行って、しばらく休むがよい」と言われた。出入りする人が多くて、食事をする暇もなかったからである。そこで、一同は舟に乗って、自分たちだけで人里離れた所へ行った。ところが、多くの人々は彼らが出かけて行くのを見て、それと気づき、すべての町からそこへ一斉に駆けつけ、彼らより先に着いた。イエスは舟から上がり、大勢の群集を見て、飼い主のいない羊のような有様を深く憐れみ、いろいろと教え始められた。そのうち、時もだいぶたったので、弟子たちがイエスのそばに来て言った。「ここは人里離れた所で、時間もだいぶたちました。人々を解散させてください。そうすれば、自分で周りの里や村へ、何か食べる物を買いに行くでしょう。」これに対してイエスは、「あなたがたが彼らに食べ物を与えなさい」とお答えになった。弟子たちは、「わたしたちが200デナリオンものパンを買って来て、みんなに食べさせるのですか」と言った。イエスは言われた。「パンは幾つあるのか。見て来なさい。」弟子たちは確かめて来て、言った。「五つあります。それに魚が二匹です。」そこで、イエスは弟子たちに、皆を組に分けて、青草の上に座らせるようにお命じになった。人々は、百人、五十人ずつまとまって腰を下ろした。イエスは五つのパンと2匹の魚を取り、天を仰いで賛美の祈りを唱え、パンを裂いて、弟子たちに渡しては配らせ、2匹の魚も皆に分配された。すべての人が食べて満腹した。そして、パンの屑と魚の残りを集めると十二籠にいっぱいになった。パンを食べた人は男が五千人であった。

説教  「主の心遣い」

マルコによる福音書6章の30節から44節までのお言葉でございます。

主イエスさまはすばらしい奇跡を行いなさったのです。五千人が養われたと言うお話しでございます。実際はもっと大勢であったと考えられます。5千人はただ男の数だけで、婦人も子供もとするとその倍、もっといたかも分かりません。一万人を養う、そのような素晴らしいことをイエスさまはなさったのです。考えてみますと食べるだけではなくて、もっと大切なことが含まれていないでしょうか。

イエスさまの弟子たちが、初めて伝道旅行をしたのですね。二人で組になって、あの地方を歩いたのです。帰って来て嬉しくって、いろいろたくさん話があったようです。それで食事をする暇も無かったのですから、結構疲れていたと思います。イエスさまはそれを察して、「人里離れた所へ行ってしばらく休むがよい」と、おっしゃいました。ちょっと休暇をとろうと思っていたところ、人々はまだイエスさまについて来ようとしました。ガリラヤ湖はそんなに大きな湖ではありませんでしたが、イエスさまの弟子たちが向う岸に着いた時には、大勢が先回りをして待っていたのです。イエスさまはその群集を見て「飼い主のいない羊のような有様を深く、深く憐れみ教え始められた」のです。深く憐れみ、は英語でCOMPASSIONという言葉が使ってあるのですが、それを辞典で調べると、同情したとあります。一緒に気持ちを合わせて考えたということですね。イエスさまがその会衆と一緒になっていたということ、同じ気持ちでいることです。わたしたちも考えさせられます。

ちょっと脇道にそれますが、最近目についたことです。ニューヨークの話ですが、そこに地下鉄が昔からあります。そこで、二日のうちに三つの事件が起こったのです。一つはホームレスの人が轢かれて死にます。もう一つは地下鉄の従業員ですが、修理をしていた人が三人轢かれて死にました。もう一つは犬一匹が轢かれて死にました。そこでちょっとびっくりしたことは、そのホームレスの人に対しては誰も、地下鉄の事務所に電話をかけません。三人の従業員のことでは三本の電話があった。でも犬の事件では九十件もあったそうです。人間よりも何か犬の方が大事に見えて驚きました。そのようにわたしたちの世の中は事件に慣れていて、若いものが自分の親を殺したり、近所の人たちを刺し殺したりと言う事件が最近ありました。また、また、と何かそういうことが起こることも不思議には思いますが、でも聞き馴れてしまっていませんでしょうか。だから、本当にわたしたちも同情しているのでしょうか、イエスさまのように、その人たちの事を思って考えているのでしょうか。イエスさまにこの大群衆は何か食べさせてくださいと言ってはいないのです。イエスさまの話を真剣に聞いていて時間が遅くなってしまっただけです。そこで、イエスさまに弟子が心配して、はやく解散して、食事が出来るようにしたらとの話があったのですが、イエスさまは却って、弟子たちに「あなたたちが何か食べ物を心配するように」と言われたのです。弟子たちは一生懸命に五千人の会衆の中をまわって、食べ物がないか探しますが、やっと一人の子供の弁当があったのです。五つのパンと言ったら、わたしたちの見慣れた一斤の大きなパンではなく、小さい丸いものでしょうね。弁当ですからそんなに大きいものではないと思いますが、しかも五つでした。魚は二つ。これは干した魚の干物でしょう。イエスさまはその僅かな物で大勢の人を食べさせられたのです。しかも食べた後の残り物は大変でした。十二カゴ一杯あったということです。イエスさまのなさったことはわたしたちにとって、十分以上であったのです。この奇跡を見てわたしたちはただ、イエスさまが遠い将来に、わたしたちを天国へ連れて行ってくださるという素晴らしいことを期待しておりますが、それだけではなく、現在も、教会に行ってとてもいい話を聞いて、心のための糧はずうっとわたしたちは頂いているのです。ですが、日常の糧というものまで、イエスさまは心配してくださるのかと、そこまでは思っていません。でも、実際は、神様はわたしたちの心だけのことではなく、体の事も心配しておられるという事例を今日、見せられました。わたしたちの主は素晴らしいお方であると、教えられたのです。その源は、イエスさまが、同情なさった。わたしたちと同じ気持ちになって、わたしたちの日々の生活のことをも分かって、考えて導いてくださることです。或るところでイエスさまは「食いしん坊だ」と言われたこともあります。また、「酒飲みだ」と言われたこともあります。わたしたちと一緒に生活をしておられるということの証拠です。宗教的に真面目な人でしたら、食べ放題や飲み放題みたいなことはなさらない方だと思うかも知れませんが、イエスさまはわたしたちの日常生活をよく知っておられる。同じ気持ちを持って一日一日を送っておられたのです。そうですね、このような大勢の人たちが集まったのですが、弟子たちも疲れている、主も疲れている時でしたから、断ることも出来たでしょう。

「ちょっと今休暇をとりにここまで来たのだ」と言って断ることも出来たかもわかりません。でも断ることをなさらなかったのです。

イエスさまは都合のよい時だけではなく、何時であってもわたしたちの事を思って、心配して工夫してくださるのです。これが今日の教訓でございませんでしょうか。

勿論一番大きな問題は、今の世の中での暫くの間の人生だけではなく、わたしたちの本当の人生はこの世を去ってから始まるのです。永久にそれが続くものです。永遠に主イエスさまがわたしたちを生かしてくださっているのです。そのためにこの世に来てくださって、暫くはいろいろご苦労があったのです。今日の話は主にとっては僅かなことであったかも分かりません。後に、その国の宗教者として、一番偉い方々に憎まれて、結構痛めつけられて最後は十字架に磔けられて、殺されたことはわたしたちは聞かされています。そこまで辛抱されてわたしたちを救われたのです。また、その苦しみがわたしたちにとって一番大きな慰めになるのです。本当はわたしたちがその苦しみを地獄で受けるべきことでしたが、主が代わってわたしたちの罪を贖ってくださったのです。わたしたちが受けるべき分を自らお受けになって、わたしたちはそのお陰で、この世を去っても嬉しいことが待っています。その嬉しいこと、楽しいことは一時的なものではない。永久のものです。決して終わらないものです。そのために主はこの世に来られたのです。

今日は食べ物の話になりましたがね、食べることはわたしたちにとっては楽しいこと、また、生きるためには必要なものです。天国に行っても、ちゃんと、十分にわたしたちは頂くでしょう。どういうかたちであるかはちょっと分かりませんが、ただ、察することは、天国のはなし(の中)にはよく宴会の話があります。たくさんご馳走が出る話です。確かにわたしたちはそこへ行ったら、十二分に楽しむことが出来るでしょう。このようにわたしたちは教えられて信じています。

今日は誰かが困っていた時のイエスさまのちょっとした助けでしたが、考えれば大きなものでした。五千人、一万人、一万人を越しているでしょう。イエスさまはそのような素晴らしいことをなさるほど、わたしたちのことを思っておられます。同情してくださいます。「深く憐れまれ」とは聖書のお言葉です。これを覚えておりたいと思います。イエスさまに感謝していましょう。

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