2000年8月27日(聖霊降臨後第11主日)
聖書日課と説教
第1日課 ゼファニヤ書3:18−20
わたしは祭りを祝えず苦しめられていた者を集める。彼らはお前から遠く離れ、お前の重い恥となっていた。見よ、そのときわたしはお前を苦しめていたすべての者を滅ぼす。わたしは足の萎えていた物を救い、追いやられていた者を集め、彼らが恥を受けていたすべての国で、彼らに誉れを与え、その名をあげさせる。そのとき、わたしはお前たちを連れ戻す。そのときわたしはお前たちを集める。わたしが、お前たちの目の前で、お前たちの繁栄を回復するとき、わたしは、地上のすべての民の中で、お前たちに誉れを与え、名をあげさせると主は言われる。
第2日課
パウロのエフェソ人への手紙4:1−16
そこで、主に結ばれて囚人となっているわたしはあなたがたに勧めます。神から招かれたのですから、その招きにふさわしく歩み、一切高ぶることなく、柔和で、寛容の心を持ちなさい。愛をもって互いに忍耐し、平和のきずなで結ばれて、霊による一致を保つように勤めなさい。体は一つ、霊は一つです。それは、あなたがたが、一つの希望にあずかるようにと招かれているのと同じです。主は一人、信仰は一つ、洗礼は一つ、すべてのものの父である神は唯一であって、すべてのものの上にあり、すべてのものの内におられます。しかし、わたしたち一人一人に、キリストの賜物のはかりに従って、恵みが与えられています。そこで、「高い所に昇るとき、捕らわれ人を連れて行き、人々に賜物を分け与えられた。」と言われています。
「昇った」というのですから、低い所、地上に降りておられたのではないでしょうか。この降りて来られた方が、すべてのものを満たすために、もろもろの天よりも更に高く昇られたのです。そして、ある人を使徒、ある人を預言者、ある人を福音宣教者、ある人を牧者、教師とされたのです。こうして、聖なる者たちは奉仕の業に適した者とされ、キリストの体を造り上げてゆき、ついには、わたしたちは皆、神の子に対する信仰と知識において一つのものとなり、成熟した人間になり、キリストの満ちあふれる豊かさになるまで成長するのです。こうして、わたしたちは、もはや未熟な者ではなくなり、人々を誤りに導こうとする悪賢い人間の、風のように変わりやすい教えに、もてあそばれたり、引き回されたりすることなく、むしろ、愛に根ざして真理を語り、あらゆる面で、頭であるキリストに向かって成長していきます。キリストにより、体全体は、あらゆる節々が補い合うことによってしっかり組み合わせられ、結び合わされて、おのおのの部分は分に応じて働いて体を成長させ、自ら愛によって造り上げられてゆくのです。
福音書 マルコによる福音書6:45−52
それからすぐ、イエスは弟子たちを強いて舟に乗せ、向う岸のベトサイダヘ先に行かせ、その間に御自分は群衆を解散させられた。群衆と別れてから、祈るために山へ行かれた。夕方になると、舟は湖の真ん中に出ていたが、イエスだけは陸地におられた。ところが、逆風のために弟子たちが漕ぎ悩んでいるのを見て、夜が明けるころ、湖の上を歩いて弟子たちのところに行き、そばを通り過ぎようとされた。弟子たちは、イエスが湖上を歩いておられるのを見て、幽霊だと思い、大声で叫んだ。皆はイエスを見ておびえたのである。しかし、イエスはすぐ彼らと話し始めて、「安心しなさい。わたしだ。恐れることはない」と言われた。イエスが舟に乗り込まれると、風は静まり、弟子たちは心の中で非常に驚いた。パンの出来事を理解せず、心が鈍くなっていたのである。
説教 「本当のイエスさまが、共におられれば大丈夫。」
マルコ6章の45節から52節のお言葉でございます。
イエスさまが水の上を歩いて弟子たちの所へいらっしゃるお話でございます。弟子たちはイエスさまのそのお姿を見て、非常に恐れを持ったとわたしたちは聞かされております。大声で叫んだと言うことは、大声で泣いたということですね。彼らは「幽霊を見た」と日本語では訳してありますが、他の聖書のところには亡霊という言葉もあります。亡くなった霊と書きます。西洋では幽霊というものはその人の姿をあらわすのです。ちゃんと顔も足もあるのです。弟子たちはそれまで、もうとても忙しかったのです。その上、バプテスマのヨハネが殺されたという悲しいことがあって、それで、イエスさまが水の上を歩いておられるのを見て、幽霊と思い、イエスさまが突然死んだのではないかと勝手に思い込んで、主イエスさまがいらっしゃらなくなったらどうしようと、大声で泣き出したのです。でもイエスさまが彼らに近寄って声をかけられます。「安心しなさい。わたしです。恐れることはない」と。
弟子たちがこのようになったのは、心の中で非常に驚いたと共に、五千人のパンの出来事を理解せずに心が鈍くなっていたからです。鈍いとは心が頑なになっていたことで、頑固になっていたのです。彼らは思い込んでいて、悩んでいたのです。これが今日のお話です。
旧約聖書のゼファニヤの言葉によりますと、ゼファニヤはエレミヤと同時代の人であって、彼を通して、神様がイスラエル人に聞かせようとしておられたのです。それは、「これから大変なことが起こります。東の国の大軍が来て、ユダヤの国を滅ぼして、エルサレムの神殿を壊して、多くの人をバビロニヤへ連れていってしまう」という預言でした。更にゼファニヤは言います。「神様は決して皆さんを忘れなさらない。恐れなくてもよろしい。神様は連れ戻します」と。「連れ戻します」を他の聖書の言葉ではBRING HOME という言葉を使っています。HOME といったら、故郷です。慣れたところへ再び連れて来られるという意味で、わたしにとって慰めの言葉でした。勿論この言葉にはもっと深い意味があって、わたしたちはいずれは本当の故郷、神の国、天国へイエスさまがお連れなさるという意味が含まれているのです。
今日の使徒書では、パウロもいろいろ苦労していたのです。彼は捕囚にされて、獄屋に入れられて縛られていたかは分かりませんが、しかし、信徒の方々は大変心配していました。彼のためだけではなく自分たちも、クリスチャンが迫害されていることを恐れていたでしょう。その人達を慰めるために、パウロはこの手紙を書くのです。「神さまは決してわたしたちを忘れていません」と。当時、彼らが一番に感じていたことは、クリスチャンであること、その上ユダヤ人である。ユダヤ人も差別されていたのです。それで、二重の彼らの暗さがあったのです。信仰だけではなく、人種も違っていることやパウロを見ると、信仰のために獄屋に入れられているということで彼らは心配していたのです。そこで、パウロは「わたしはここにおりますが、でも、神様がわたくしのことをずっと守っていてくださっています。みなさんはもっと元気を出して、勇気を持って自分の信仰を人に表していなさい。本当は人種差別はない筈です」と言います。彼の言葉によりますと、「体はいろいろな部分で築かれているもので、みんな同じではないのです。一つの体です。このように教会はいろんな人が集まって、みんなで一緒にいるのは、みんながまったく同じものではなく、一人一人恵まれている特長があり、またその逆もあるのです。弱いところもあります。でも大事なことは、一人のお父様、そして、一人の頼りになる救い主、主イエスさまがいらっしゃるのです。だからどんなことが起こっても大丈夫で、ついには、わたしたちは皆、イエスさまに似た者となって、永遠に生きるのだと。今しばらくの間は苦労があるでしょう。でも、わたしたちの本当の故郷は天国ではないでしょうか。だから、その時を忍耐強く待って、少し我慢をしなければならないこともあるでしょう。出来ればそのことを分かっていない人々にイエスさまを教えて、いずれは共に永遠に生きようではありませんか」というお言葉でございます。
わたしたちは勝手に自分の思い込みをしない方がよろしいでしょう。弟子たちは五千人の人を養われたことを見たばかりの時でしたのに、自分の考えの方を上にして、イエスさまが死んだと思って幽霊と思ったのです。実際にイエスさまは、彼らと一緒にまだ生きていらして、舟に乗られて、嵐が静まったと記してあります。そのようにわたしたちには、これから素晴らしい時が来ます。イエスさまが約束なさったことを思いながら、でもしばらくの間、ちょっと苦労するでしょう。ゼファニヤの話を聞いた人たちは、バビロニヤに連れてこられて苦労をしました。またそこから戻っても苦労が続いたのですが、彼らは何時も自分たちには故郷があるというその希望を持って一日、一日を過ごしていたとわたしたちは思います。同じようにわたしたちの世の中でもそんなに素晴らしいものばかりではございません。物質的にはわたしたちはわりに恵まれているのですが、最近日本でも経済がちょっと詰まっていて、次々と大きな会社までも潰れたりして、失業者も多く出はじめています。わたしたちもこれに含まれるものではないでしょうか。そのようにちょっと寂しい思いがありますが、でも、もっと先のことが約束されているのです。今しばらくは厳しいかもわかりません。痛い事もあるかも分かりません。しかし、いずれは素晴らしい、主イエスさまが準備してくださった所が待っています。それは一時的な事ではなく、今度は何時までも続くものです。その大きな大きな夢と言ってもいいかも知れませんが、夢以上のものです。わたしたちが想像できないほどの素晴らしい時が来るのです。それがわたしたちの信仰で、イエスさまが弟子たちにそのようなことを考えさせようとして、珍しいこと、水の上を歩いているお姿をお見せになったのです。イエスさまにとっては不可能と言うことは一つもございません。わたしたちのことを心から心配してくださると信じられるのです。このようにして、わたしたちは自分だけではなく出来るだけ多くの人にこの大切な福音を伝えていたいと思います。
六本木教会の礼拝にいらっしゃいませんか。
毎週日曜日の午前11時から行われています。教会は営団日比谷線六本木駅から徒歩約10分のところにあります。
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