2000年9月3日(聖霊降臨後第12主日) 聖書日課と説教

第1日課   申命記4:1−8

 イスラエルよ、今、わたしが教える掟と法を忠実に行いなさい。そうすればあなたたちは命を得、あなたたちの先祖の神、主が与えられる土地に入って、それを得ることが出来るであろう。あなたたちはわたしが命じる言葉に何一つ加えることも、減らすこともしてはならない。わたしが命じるとおりにあなたたちの神、主の戒めを守りなさい。あなたたちは、主がバアル・ベオルでなさったことをその目で見たではないか。あなたの神、主はベオルのバアルに従った者をすべてあなたの間から滅ぼされたが、あなたたちの神、主につき従ったあなたたちは皆、今日も生きている。
見よ、わたしがわたしの神、主から命じられたとおり、あなたたちに掟と法を教えたのは、あなたたちがこれから入って行って得る土地でそれを行うためである。あなたたちはそれを忠実に守りなさい。そうすれば、諸国の民にあなたたちの知恵と良識が示され、彼らがこれらすべての掟を聞くとき、「この大いなる国民は確かに知恵があり、賢明な民である。」と言うであろう。いつ呼び求めても、近くにおられる我々の神、主のような神を持つ大いなる国民がどこにあるだろうか。またわたしが今日あなたたちに授けるこのすべての律法のように、正しい掟と法を持つ大いなる国民がどこにいるだろうか。

第2日課      パウロのエフェソ人への手紙6:10−20

  最後に言う。主に依り頼み、その偉大な力によって強くなりなさい。悪魔の策略に対抗して立つことが出来るように、神の武具を身に着けなさい。わたしたちの戦いは、血肉を相手にするものではなく、支配と権威、暗黒の世界の支配者、天にいる悪の諸霊を相手にするものなのです。だから、邪悪な日によく抵抗し、
べてを成し遂げて、しっかりと立つことができるように、神の武具を身に着けなさい。立って、真理を帯として腰に締め、正義を胸当てとして着け、平和の福音を告げる準備を履物としなさい。なおその上に、信仰を盾として取りなさい。それによって、悪い者の放つ火の矢をことごとく消すことができるのです。また、救いを兜としてかぶり、霊の剣、すなわち神の言葉を取りなさい。どのような時にも、“霊”に助けられて祈り、願い求め、すべての聖なる者たちのために、絶えず目を覚まして根気よく祈り続けなさい。また、わたしが適切な言葉を用いて話し、福音の神秘を大胆に示す事ができるように、わたしのためにも祈ってください。わたしはこの福音の使者として鎖につながれていますが、それでも、語るべきことは大胆に話せるように、祈ってください。

福音書  マルコによる福音書7:1−15

 ファリサイ派の人々と数人の律法学者たちが、エルサレムから来て、イエスのもとに集まった。そして、イエスの弟子たちの中に汚れた手、つまり洗わない手で食事をする者がいるのを見た。―――ファリサイ派の人々をはじめユダヤ人は皆、昔の人の言い伝えを固く守って、念入りに手を洗ってからでないと食事をせず、また、市場から帰ったときには、身を清めてからでないと食事をしない。そのほか、杯、鉢、銅の器や寝台を洗うことなど、昔から、受け継いで固く守っていることがたくさんある。―――そこで、ファリサイ派の人々と律法学者たちが尋ねた。「なぜ、あなたの弟子たちは昔の人の言い伝えに従って歩まず、汚れた手で食事をするのですか。」イエスは言われた。「イザヤは、あなたたちのような偽善者のことを見事に預言したものだ。彼はこう書いている。『この民は口先ではわたしを敬うが、その心はわたしから遠く離れている。人間の戒めを教えとしておしえ、むなしくわたしをあがめている。』 あなたたちは神の掟を捨てて、人間の言い伝えを固く守っている。」更に、イエスは言われた。「あなたたちは自分の言い伝えを大事にして、よくも神の掟をないがしろにしたのである。モーセは、『父と母を敬え』と言い、『父または母をののしる者は死刑に処せられるべきである』とも言っている。それなのに、あなたたちは言っている。『もし、だれかが父または母に対して、「あなたに差し上げるべきものは、何でもコルバン、つまり神への供え物です」と言えば、その人はもはや父または母に対して何もしないで済むのだ』と。こうして、あなたたちは、受け継いだ言い伝えで神の言葉を無にしている。また、これと同じようなことをたくさん行っている。」
それから、イエスは再び群集を呼び寄せて言われた。「皆、わたしの言うことを聞いて悟りなさい。外から人の体に入るもので人を汚すことができるものは何もなく、人の中から出て来るものが、人を汚すのである。」

説教  「神様の本当のお考えを聖書から新しく聞きましょう。」

マルコによる福音書の7章1節から15節までのお言葉でございます。

ファリサイ派の人達はイエスさまの弟子を批判していました。ということは、イエスさまを批判していたのでしょう。あなたの弟子はこのようだ、と言って。

その問題となったことは、手を洗わないと言うことでした。もちろんイエスさまの弟子達は食事の前に手を洗ったでしょう。でも、聖書ではただ、「洗わない手で食事をする者は」と批判しているのですが、他の聖書では儀式的に洗っていないと言う言葉がございます。儀式的ということを調べてみると、まず、手を上に上げて水を上からこぼして、それが肘までこぼれていくようにすることが、彼らの手の洗い方だったのです。そのほかに、逆さにして水を流すということも含まれているようですが、とにかくその儀式を守っていなかったことがここで問題となっているのです。それで、イエスさまは却って彼らを非難されるのです。「あなたたちは口先では旨いことを言っているのですが、実際にはあなたたちは神様の戒めを守っているのでしょうか。例えばあなたたちはコルバンということばを使っています」と。コルバンを訳したら、献金です。献金と決めたお金は、父母が困っていてもそのためには使えないとしていたのです。神さまは「父母を敬え」と戒めておられます。

そして、これは教会の経済の問題として、教会はいつも苦労していますのでこのような工夫をして、コルバンという言葉を使って他には使ってはいけないと決めていたのです。でも神さまは第一は「父、母を敬え」と教えられております。

モーセが申命記でわたしたちに聞かせている言葉に、「あなたたちは、わたしが命じる言葉に何一つ加えることも、減らすこともしてはならない。わたしが命じる通りにあなたたちの神、主の戒めを守りなさい。」(申命記4:2)とあります。

これは聖書のはじめの方で、モーセがイスラエルの民に守るべきこととして神さまから教えられて伝えているのですが、その聖書の一番最後のところで、また、「この書物の預言の言葉を聞くすべての者に、わたしは証しする。これにつけ加える者があれば、神はこの書物に書いてある災いをその者に加えられる。また、この預言の書の言葉から何か取り去る者があれば、神は、この書物に書いてある命の木と聖なる都から、その者が受ける分を取り除かれる。」(黙示録22:18−19)と書かれています。聖書のほとんど最後の言葉です。その後には挨拶の言葉がありますが、そのように、聖書の中間にもところどころにモーセや預言者たちや、イエス様も含めて、忠実にみ言葉を守れとの言葉がございます。繰り返しわたしたちはそれを聞かされているのです。

そのように、み言葉に足したり、減らしたりすることをわたしたちは許すべきではないと、神さまはそうおっしゃるのです。そこで、永い歴史の中でいろいろな伝統が出来てきて、このコルバンということは旧約聖書の後に出来たものです。イエスさまよりも二、三百年前というと昔のようですが、実際は聖書ではコルバンということは教えておりませんでした。ですから、イエスさまがファリサイ派の人にこのように厳しくおっしゃるのです。

聖書にも、またこのような言葉があります。「見よ、時が来る、と主は言われる。そのとき、わたしは包皮に割礼を受けた者をことごとく罰する」(エレミヤ9:24)と。ユダヤ人は割礼を受けているから神の民であると、選民であると信じていたのです。それだけで天国へ行けると思っていたのですが、ここで、はっきりと、罰せられるとエレミヤ書の9章に記されてあります。そして、神さまがおっしゃることですが、「わたしの思いはあなたたちの思いと異なり、わたしの道はあなたたちの道と異なると主は言われる。…雨も雪も、一度天から降れば、空しくはわたしの元に戻ることはない…そのように、わたしの口から出るわたしの言葉も空しくはわたしの元に戻らない。それはわたしの望むことを成し遂げ、わたしの与えた使命を必ず果たす。」(イザヤ55:8,10,11)

わたしたちが薦められていることは、「われらの神、主は唯一の主である。あなたは心を尽くし、魂を尽くし、力をつくして、あなたの神、主を愛しなさい。」(申命記6:4−5)と。全部の力で神さまを愛しなさいということではないでしょうか。そして、パウロがローマ人への手紙で書いていますが、「信仰は聞くことにより、しかもキリストの言葉によって始まるのです。」(ローマ10:17)

信仰は聞くこと、主の言葉を聞くことから始まることです。

同じようにずっと昔、申命記に「モーセが全イスラエルを集めて言った。イスラエルよ聞け。今日、わたしは掟と法を語り聞かせる。あなたたちはこれを学び、忠実に守りなさい。」(申命記5:1)といっておられます。

詩編のうたの言葉では「仰せのとおり、わたしの足どりを確かなものとしてください。どのような悪もわたしを支配しませんように。」(詩編119:33)

最後に申し上げますが、ヨハネの言葉になりますが、「神に願うことはなんでもかなえられます。わたしたちが神の掟を守り、み心にかなうことを行っているからです。その掟とは、神の子キリスト・イエスの名を信じ、その方がわたしたちに命じられたように、互いに愛し合うことです。神の掟を守る人は、神の内にいつもとどまり、神もその人の内にとどまってくださいます。」(第一ヨハネ3:22−24)
そのようにわたしたちは神さまのみ言葉を聞かされています。

現代はどのようなことが問題になっているでしょうかと考えてみますと、わたしたちの世の中にはいろんな教会があります。その一部が勿論ルーテル教会ですが、マルチン・ルターのお薦めによって、わたしたちは出来るだけわたしたちの分かる限り忠実に聖書を解釈してそれを信じております。

今のヨハネの言葉のようにわたしたちはそれによって、神さまと確かに結び付けられているもので、それがわたしたちにとって大切な一番の慰めになるのです。今日も聖餐に与かります。それによって主イエスさまを戴くということ、主がわたしたちの内におられるということです。そして、主が流された血がわたしたちの罪を贖うものであって、わたしたちのものであるということを具体的にそれを証拠とされているのです。ある教会は聖餐式を年に一回しかしません。聖書に書かれているから、少なくて年一回、でも彼らの考えは自分の頭で理解しようとして、どうして、このパンがイエスさまの体になるのでしょうか、と思って、ただ象徴的にします。そうであることは本物ではないと解釈をするのです。それは、彼らの頭で考えたことです。わたしたちルーテル教会では説明できませんが、イエスさまが最初にそれを設けられた時は、イエスさまが弟子たちの前に立っておられて、パンをとられて、「このパンはわたしの体です」と言われたのです。イエスさまの体はそこにあるのですが、イエスさまは「このパンはわたしの体です」とおっしゃったのです。どうやってそのパンがイエスさまの体になるかということはわたしたちには分かりません。ただ、主イエスさまがそうおっしゃったから、わたしたちはそう信じます。理屈はわからないと言ってもいいでしょう。でも確かにイエスさまの体を戴いていて、イエスさまがわたしたちの内におられるということです。それでわたしたちは決して、聖書の言葉を減らしたり、また何かを付け足したりはいたしません。神様の思いはわたしたちの思いと違っていますが、神さまの望まれる通りにわたしたちはその言葉を受け止められたいのです。

今日はちょっと厳しい話しになってしまいましたが、パウロが今日の使徒書で、この世の中の悪に負けないように神さまが与えてくださった素晴らしいものを教えています。これ全部がわたしたちを保護するために、またわたしたちに安定を与えるために、安心を与えるために、神さまが与えてくださったものです。現在では、兜や剣や鎧を使っていないのですが、でも当時の世の中ではその一つ一つが人を保護して助けるものばかりです。それを全部併せて完全にわたしたちが守られているのと同じように、神さまのみ言葉によって守られているとパウロが聞かせております。

パウロも恐ろしい世の中にいて、彼も当時は囚人であったのです。獄屋に入れられていたのです。彼も人間で弱いところもあります。パウロもわたしのためにも祈ってくださいとおっしゃっています。わたしたちもお互いに神さまのお助けを願っておりましょう。

誰一人もこの世の中では完全な人間はいません。悪魔が探せば弱いところを見つけるでしょう。それが、見つけられないようにちゃんとパウロのお薦めのように、わたしたちには完全なものが与えられているのです。それを信じていましょう。どこから見ても攻めてくることが出来ないように武具を、あまり好きな言葉ではありませんが、武器がわたしたちの手にあるのです。この武器は神さまのみ言葉です。そのみ言葉の通りにわたしたちは信じておりましょう。

神さまがわたしたちに聞かせようとしておられる第一のお言葉は「神さまご自身がわたしたち一人一人を愛しておられる」ということです。ですから、儀式的なことを考えて悩むことはありません。神さまはわたしたちの有りのままを、罪人であるわたしたちを愛しておられます。そのためにイエスさまがこの世にいらして、その一つの証拠として、今日わたしたちは聖餐を戴くことになっております。

六本木教会の礼拝にいらっしゃいませんか。
毎週日曜日の午前11時から行われています。教会は営団日比谷線六本木駅から徒歩約10分のところにあります。
メールまたは電話(03-3405-9972)でお問い合わせください。

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