2000年9月24日(聖霊降臨後第15主日) 聖書日課と説教

第1日課   イザヤ50:4−11

 主なる神は、弟子としての舌をわたしに与え、疲れた人を励ますように言葉を呼び覚ましてくださる。朝ごとにわたしの耳を呼び覚まし、弟子として、聞き従うようにしてくださる。主なる神はわたしの耳を開かれた。私は逆らわず、退かなかった。打とうとする者には背中をまかせ、ひげを抜こうとする者には頬をまかせた。顔を隠さずに、嘲りと唾を受けた。主なる神が助けてくださるから、わたしはそれを嘲りとは思わない。わたしは顔を硬い石のようにする。わたしは知っている、わたしが辱められることはない、と。わたしの正しさを認める方は近くにいます。だれが私と共に争ってくれるのか、われわれは共に立とう。だれがわたしを訴えるのか、わたしに向かって来るがよい。見よ、主なる神が助けてくださる。誰がわたしを罪に定めえよう。
見よ。彼らはすべて衣のように朽ち、しみに食い尽くされるであろう。お前たちのうちにいるであろうか、主を畏れ、主の僕の声に聞き従う者が。闇の中を歩くときも、光のないときも、主の御名に信頼し、その神を支えとする者が。
見よ、お前たちはそれぞれ、火をともし松明を掲げている。行け、自分の火の光りに頼って、自分で燃やす松明によって。わたしの手がこのことをお前たちに定めた。お前たちは苦悩のうちに横たわるであろう。

第2日課      ヤコブの手紙2:1−18

 わたしの兄弟たち、栄光に満ちた、わたしたちの主イエス・キリストを信じながら、人を分け隔てしてはなりません。あなたがたの集まりに、金の指輪をはめた立派な身なりの人が入って来、また、汚らしい服装の貧しい人も入って来るとします。その立派な身なりの人に特別に目を留めて、「あなたは、こちらの席にお掛け下さい」と言い、貧しい人には。「あなたは、そこに立っているか、わたしの足もとに座るかしていなさい」と言うなら、あなたがたは、自分たちの中で差別をし、誤った考えに基づいて判断を下したことになるのではありませんか。
わたしの愛する兄弟たち、よく聞きなさい。神は世の貧しい人たちをあえて選んで、信仰に富ませ、御自分を愛する者に約束された国を、受け継ぐ物となさったではありませんか。だが、あなたがたは、貧しい人を辱めた。富んでいる者たちこそ、あなた方をひどい目に遭わせ、裁判所へ引っ張って行くではありませんか。また彼らこそ、あなたがたに与えられたあの尊い名を、冒涜しているではないですか。もしあなたがたが、聖書に従って、「隣人を自分のように愛しなさい」という最も尊い律法を実行しているのなら、それは結構なことです。しかし、人を分け隔てするなら、あなたがたは罪を犯すことになり、律法によって違犯者と断定されます。律法全体を守ったとしても、一つの点でおちどがあるなら、すべての点について有罪となるからです。
「姦淫するな」と言われた方は、「殺すな」とも言われました。そこで、たとえ姦淫はしなくても、人殺しをすれば、あなたは律法の違犯者になるのです。自由をもたらす律法によっていずれは裁かれる者として、語り、またふるまいなさい。人に憐れみをかけない者には、憐れみのない裁きが下されます。憐れみは裁きに打ち勝つのです。わたしの兄弟たち、自分は信仰を持っていると言う者がいても、行いが伴わなければ、何の役に立つでしょうか。そのような信仰が彼を救うことができるでしょうか。もし、兄弟あるいは姉妹が、着る物もなく、その日の食べ物にも事欠いているとき、あなたがたのだれかが、彼らに、「安心して行きなさい。温まりなさい。満腹するまで食べなさい」と言うだけで、体に必要なものを何一つ与えないなら、なんの役に立つでしょう。信仰もこれと同じです。行いが伴わないなら、信仰はそれだけで死んだものです。しかし、「あなたには信仰があり、わたしには行いがある」と言う人がいるかもしれません。行いの伴わないあなたの信仰を見せなさい。そうすれば、わたしは行いによって、自分の信仰を見せましょう。

福音書  マルコによる福音書8:27−38

 イエスは、弟子たちとフィリポ・カイサリア地方の方々の村にお出かけになった。その途中、弟子たちに「人々は、わたしのことを何者だと言っているか」と言われた。弟子たちは言った。「『洗礼者ヨハネだ』と言っています。ほかに、『エリヤだ』という人も、『預言者の一人だ』と言う人もいます。」そこで、イエスがお尋ねになった。「それでは、あなたがたはわたしを何者だと言うのか。」ペトロが答えた。「あなたはメシアです。」するとイエスは、御自分のことをだれにも話さないようにと弟子たちを戒められた。
 それからイエスは、人の子は必ず多くの苦しみを受け、長老、祭司長、律法学者たちから排斥されて殺され、三日の後に復活することになっている。と弟子たちに教え始められた。しかも、そのことをはっきりとお話しになった。すると、ペトロはイエスをわきへお連れして、いさめ始めた。イエスは降り返って、弟子たちを見ながら、ペトロを叱って言われた。「サタン、引き下がれ。あなたは神のことを思わず、人間のことを思っている。」それから、群集を弟子たちと共に呼び寄せて言われた。「わたしの後に従いたい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい。自分の命を救いたいと思う者は、それを失うが、わたしのため、また福音のために命を失う者は、それを救うのである。人は、たとえ全世界を手に入れても、自分の命を失ったら何の得があろうか。自分の命を買い戻すのに、どんな代価を支払えようか。神に背いたこの罪深い時代に、わたしとわたしの言葉を恥じる者は、人の子もまた、父の栄光に輝いて聖なる天使たちと共に来るときに、その者を恥じる。」

説教  「十字架のキリストに従うのは」

マルコによる福音書の8章27節から38節までのお言葉でございます。

この言葉の第一部のところで、ペトロがイエスさまを告白する素晴らしい言葉がございます。「あなたはメシヤです」と。メシヤと言う言葉は旧約時代の人がよく用いた言葉です。新約聖書になって、キリストとそれを訳して、わたしたちはそちらの方に慣れております。ペトロがイエスさまはメシヤであると、キリストであるとはっきりと告白したことは、素晴らしいことだとわたしたちは思いますが、その後に、イエスさまはこれから起こることを語り始めておられます。彼は多くの苦しみを受けて、長老、祭司長、律法学者たちから排斥されて殺され、三日目の後、復活することになっていると、弟子たちに教え始めました。それを聞いてペトロは「これはとんでもない」と、イエスさまにそんな話をしないようにと言ったのですが、イエスさまは人の前で、ペトロに驚くような言葉を、ショックになるような言葉を用いなさるのです。「サタン、引き下がれ。あなたは神のことを思わずに人間のことを思っている」とそう言われたのです。ペトロが折角素晴らしい告白の言葉をしたのですが、イエスさまはそのまま受け入れなかったことを見て、わたしたちはそれはどういう意味でしょうかと考えてみますと、イエスさまは続けて「群集も弟子たちと共に呼び寄せて言われた。『わたしの後に従いたい者は、自分を捨てて自分の十字架を背負ってわたしに従いなさい』」と言われます。

「自分の十字架を背負ってわたしに従いなさい。」イエスさまご自身もその後十字架を背負ってその十字架に磔けられたのです。十字架を背負うことは犯罪人として決められた人ですね。そして、死刑に行く所です。わたしたちもその仲間になるのでしょうか。勿論わたしたちの今の世の中、日本ではあまりそのようなことはないのですが、でも、現在実際にインドや、インドネシア、また中東のイスラム教が強いところでは、クリスチャンは迫害されて殺されているのです。やっぱり彼らは主イエスさまに従うために自分の十字架を背負って、自分を犠牲にしてイエスさまの後について行く人々です。わたしたちは今、公にはわたしたちの新聞には載っていないのですが、でもわたしたちにも配られているルーテルアワーのニュースにはほとんど毎回一つか二つか三つのそういう例が挙げられています。それでイエスさまが「自分の十字架を背負ってわたしに従いなさい」とおっしゃることは現実的な言葉ですね。わたしたちはそこまでは考えていないのですが、或いはもう少し先になってこのようなことが起きることがあるかもしれません。そのような心の準備をしていなければならないと思います。

わたしたちは必ず信仰をしているから楽な生活をするということではございません。イザヤもそういうようにわたしたちに話しかけております。イエスさまはいろいろ苦しみますと、そして信じる人は暗闇に住んでいると(言っています)。でも信じない人は灯火をつけて明るくしているのですが、結局その灯火の火によって、彼らは破戒されるというようなお話しです。

ヤコブもわたしたちの世の中には矛盾が多いと、金持ちの人が、例えば教会に来たら大歓迎を受けるのですが、実際は上に立っている人たちはわたしたち貧しい人たちを苛めているのです。そうでないでしょうか。世の中の在り方に従っていることがわたしたちにとって一番良いことでしょうか。そうではなくわたしたちは人を差別してはいけないと。カッコヨイ服を着て、上に立っている人達だけをわたしたちが尊敬するのではなく、わたしたちは貧しい人たちを一人の人間として彼に必要なことをわたしたちも心配していなければならないとヤコブも言っているのです。

当時の人たちは、ことにイエスさまが五千人を養われた後ですので、大勢の人たちがイエスさまを王様に立てようとしたのですね。勿論彼らは自分のことしか考えていないのです。イエスさまが毎日食べさせてくれると考えていたのでしょうと思われます。ペトロもリーダーとしてイエスさまは素晴らしいお方ですので、もっと素晴らしいことをしてくださればと、また、もっとこの世の中で偉大な人物になって、わたしたちの面倒もいろいろ見てくださるようにと思っていたのではないでしょうか。これはだれでもそう考えたい時があるでしょう。ことに貧しくて困っているときは誰かの助けを欲しいと思うのです。神さまがわたしたちにもう少し辛抱しなさいというときに、早く助けていただきたいと思うものです。

ペトロはイエスさまが「わたしについて来るなら、同じようになってくれ」とおっしゃったのですが、その後でイエスさまが実際に十字架を背負っていらっしゃる時には、弟子は一人もその場にいなかったのです。そう、イエスさまがお一人で十字架を負われたのですが、その前に三十九回も鞭で打たれて、ということは四十回打たれたら死んでしまうという統計があったのでしょう。ローマの兵卒たちは三十九回でやめたのです。その弱っているイエスさまが十字架を背負っていらっしゃったので、途中で倒れてしまったのです。ローマの兵隊たちはクレネのシモンを無理やりに代わりに十字架を負わせたのです。とにかくイエスさまは最後までわたしたちを救うために痛い目にあって、十字架の上でわたしたちの罪を全部贖ってくださったのです。そのイエスさまを見て、わたしたちはどう思ったでしょうか。群衆と一緒に、イエスさまは犯罪人だと、大変な罪人だとイエスさまをあざ笑ったかも分かりません。その後イエスさまが蘇られて、その贖いが完成したことの証拠を見せてくださって、わたしたちはあの苦しみだけで終わったことではないと、イエスさまが大犯罪人として一生を終えたことではなく、わたしたちの救い主として今でも生きておられる。蘇られたこともわたしたちに見せてくださったのです。それで、わたしたちも主イエスさまの足跡に従って、場合によれば、十字架を背負わなければならないでしょう。一人一人の苦しみはあのような身体的な痛みだけではございません。精神的にも悩んで痛む人も結構おります。わたしたちの回りにもそのような人は多いでしょう。割に物質的には恵まれているのですが、心の中には苦しいと、そう思っている人が結構大勢いると思います。彼ら全部が神さまに愛されていると聞いたらその苦しみはいくらか軽くなるでしょう。でもそうでない人がまだまだ世の中には大勢いるので、わたしたちはそこを心配してわたしたちも自分の身を惜しまずにその人たちの為に何かできないかと考えることではないでしょうか。ペトロが「イエスさまはメシヤだ」と告白しましたが、もう一歩進んで、当時の苦しむ人達を助けたらよかったでしょうと後から彼も考えたと思います。弟子たちの十二人の中で自分を犠牲にしなかった人はただ一人です。一番若いヨハネが一番最後まで生きていて、わたしたちの察することは(亡くなったのは)九十歳くらいだったでしょう。その間には沢山の苦労がありましたが、一時は島流しになったりして、その当時に手紙を書いたり、また、黙示録を書いたりしていたのです。最後には彼は立つことも出来ない、当時は車椅子はなかったから誰かにおんぶされて、教会の会員の前に立って、弱い声で「子供達よ、」・・・年ですから皆が子供のように見えたのでしょう。「子供達よ互いに愛し合いましょう」とそれだけの説教をしたというはなしがございます。彼は長生きをしたのですが、長い、長い苦労がありました。

わたしたちもペトロも自分でイエスさまをキリストと言いながらイエスさまに従って十字架を負うことをそのときは考えていなかったのです。ペトロは後で実際に殉教者の一人になりました。

わたしたちが、愛するとはどこまですることでしょうか。ある程度までということではない筈です。喜んで自分の全部を差し上げて、イエスさまの最後を思えばわたし達の苦労は軽いものでしょう。でも、イエスさまのその苦労のお陰でわたしたちはいずれは神の国へ行ける素晴らしい時が来るのです。その素晴らしい時は一時だけではなく永遠のものです。限りがない救いです。それほど神さまはわたしたちを愛しておられるのです。そために主イエスさまをこの世に送りなさったのです。わたしたちにとってイエスさまの苦労があまりにも極端だと思われるかもしれませんが、でも、わたしたちの罪の重さは相当なものです。そして、神さまの愛はそれ以上に大きいのです。そのことをわたしたちはいつも思って、喜びをもって毎日を送っておりましょう。

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