| 2000年11月26日(聖霊降臨後最終主日) 聖書日課と説教 | |
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第1日課 ダニエル書7:9−10 |
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第2日課 へブライ人への手紙13:20−21 永遠の契約の血による羊の大牧者、わたしたちの主イエスを、死者の中から引き上げられた平和の神が、御心に適うことをイエス・キリストによってわたしたちにしてくださり、御心を行うために、すべての良いものをあなたがたに備えてくださるように。栄光が世々限りなくキリストにありますように、アーメン。 |
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福音書 マルコによる福音書13:24−31 「それらの日には、このような苦難の後、太陽は暗くなり、月は光を放たず、星は空から落ち、天体は揺り動かされる。そのとき、人の子が大いなる力と栄光を帯びて雲に乗って来るのを、人々は見る。そのとき、人の子は天使たちを遣わし、地の果てから天の果てまで、彼によって選ばれた人たちを四方から呼び集める。」 |
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| 説教 「世が終わって太陽もなくなったら私たちはどうしたらよいでしょう。」 柴田ジョージ師 | |
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マルコによる福音書の13章24節から31節までのお言葉でございます。 また一年の教会暦が終わろうとしております。今日の聖句は終わりの時のことを私たちに考えさせてくださいます。まず、旧約聖書のお話によりますと、神様はどんなお方であられるのかと私たちの目でどう見えるのかを、今は見えていませんが、見せてくださっています。その時には神様に会えることを私たちは楽しみにしております。 白い服を着て白髪の方ですね。そして、火や車輪がそこにあると言うことを聞いて、白は冷たい感じを受けますが、白は純粋を象徴するものです。でも火が燃えていることで、もっと生き生きと暖かい印象を受けます。そして車輪は動き回っているとあります。大昔はもちろん自動車は無かったのですが、でも、車輪はそういうことを象徴していると思います。神様の力は恐ろしいほどのものと思えるかも分かりませんが、でも、その時大勢の人々が、何千何万の人が集まっていて、その中に私たちがいるのです。これが審判の日を迎えて私たちの経験することでしょう。そこで、イエス様も世の終わりはこのようだと話しておられます。 |
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私たちの想像できないことは全て変ってしまうということです。例えば今日はとても良いお天気です。太陽が照っていることは、私たちの好みはこのような風景でしょう。太陽も無く、月も無くなる、私たちの知っている宇宙もなくなると、まず寂しい思いになります。そこで主イエス様がまったく太陽のようにわたしたちを明るくして下さると共に私たちも明るく輝くものになって、もう太陽は要らないほど明るくなっているでしょうと考えられます。そのような中で私たちは、主イエス様がどう私たちを審判してくださるか心配ですが、こっちへ行くか、あっちかと、天国か地獄かとそれを決めてくださるのですから、それはちょっと心配ですが、でも、神様の約束の言葉は決して変らないと、全てのものが無くなっても神様が私たちに聞かせてくださったことは、絶対に変らないということを私たちは聞かされて、安心できるのです。 イエス様はいちじくの木の話をなさっておられますが、その葉っぱが大きくなってきたら、実がなってくると、私たちはそう期待できるのです。一年で暖かい一番気候の良い夏が来るとそのようになると、先のことを思うことが出来るのです。それをイエス様が私たちに聞かせておられるのです。全てが無くなっても絶対に神様の教えられたことは、すなわちわたしたちが主イエスさまを信じていれば必ず天国へお連れくださると言うことは変らない。私たちは罪を赦されて、イエス様が贖ってくださったから罪の無い人と、これは私たちが自分を見て考えますと考えられないほどの素晴らしいことです。罪が無い、欠点が無い、完全なものになっている。今のところ、私たちはどんなに一生懸命にしても、何かちょっと欠かしたり、忘れたところがあったりで、充分でないことばかりを経験して、「これは人間的である」と言う言葉を使うのです。自然にちょっと足りないところが必ずある。聖書の言葉でしたら罪人であると言うことでしょう。私たちがこのようなものあっても神様は愛してくださって、わたしたちのために主イエスさまをこの世に送ってくださって、なお、最後のときには私たちを迎えに来てくださるのです。「おいで」「こっちへいらっしゃい」と。あっちではなく。あっちとは恐ろしい所ですがね。わたしたちは限りなく、一時ではなく、いつまでも、永遠に立派な者に、病気もしない、痛いところも無い、お腹も空かない、充分に生きる事が出来る状態になるのです。勿論、その逆もあるのです。イエスさまを信じない者、また自分勝手に天国へ行くためにその道を決めて、何をしたら行けるかを決めた人たちはきっと失望するでしょう。失望だけではなく、恐ろしいことにあいます。その恐ろしさが永久に続くものだということです。神様はあまり聖書の中で、私たちを脅して天国へ行かせようとしておられません。でもはっきりと罪のために捨てられた人たちは大変だと仰るのです。そんなに数はないのですが、その苦しみをわずかの言葉で描いておられます。おもに、私たちが救われたら、どんなに楽しいかを私たちに聞かせておられます。本当に私たちは今どんなに努力してもほとんど失敗に終わる事が多いでしょう。あるいは一生懸命にやってもこれが出来る限りの良いものだと思っても、誰かそれを見て批判することが出来るのです。完全ではないのです。でもその完全でない私たちのために主イエスさまを神様が送りなさった。その御独り子、一番親しくしておられた方を救い主として送られたのです。主イエスさまは本当に大変であったでしょう。私たちも出来るだけ良い人間として努力していたら、それほど努力をしていない人を見たらちょっと嫌な感じがするのです。完全な方が汚い私たちをご覧になったらどう思われるでしょうか。心配しますが、でも、神様はこのような私たちであっても愛してくださっておられます。 ただイエスさまを信じるだけですね。イエス様のなさったことをわたしたちが有難く思っていたらそれだけでよろしいのです。完全なところへまで神様が連れて行ってくださる。これが私たちの信仰ですね。神様がそう約束なさったのですから、その通りになるのです。 「これらのことがみな起こるまではこの時代は決して滅びない。天地は滅びるが、私の言葉は決して滅びない」(マルコ12:30,31)と神様は仰るのです。 太陽が無くなっても、月も、星も無くなっても神様の仰ったことはいつまでも本当です。これが今日、わたしたちに主イエス様が聞かせてくださった大切なお言葉でございませんでしょうか。 |
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