再臨の時に備える

2011年11月27日 待降節第1主日
マルコによる福音書11章1〜11節
説教:高野 公雄 牧師

 一行がエルサレムに近づいて、オリーブ山のふもとにあるベトファゲとベタニアにさしかかったとき、イエスは二人の弟子を使いに出そうとして、言われた。「向こうの村へ行きなさい。村に入るとすぐ、まだだれも乗ったことのない子ろばのつないであるのが見つかる。それをほどいて、連れて来なさい。もし、だれかが、『なぜ、そんなことをするのか』と言ったら、『主がお入り用なのです。すぐここにお返しになります』と言いなさい。」二人は、出かけて行くと、表通りの戸口に子ろばのつないであるのを見つけたので、それをほどいた。すると、そこに居合わせたある人々が、「その子ろばをほどいてどうするのか」と言った。二人が、イエスの言われたとおり話すと、許してくれた。二人が子ろばを連れてイエスのところに戻って来て、その上に自分の服をかけると、イエスはそれにお乗りになった。
 多くの人が自分の服を道に敷き、また、ほかの人々は野原から葉の付いた枝を切って来て道に敷いた。そして、前を行く者も後に従う者も叫んだ。
  「ホサナ。主の名によって来られる方に、祝福があるように。
   我らの父ダビデの来るべき国に、祝福があるように。
   いと高きところにホサナ。」
 こうして、イエスはエルサレムに着いて、神殿の境内に入り、辺りの様子を見て回った後、もはや夕方になったので、十二人を連れてベタニアへ出て行かれた。
マルコによる福音書11章1〜11節


私たちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安とがあなたがたにあるように。アーメン

 クリスマスを毎年毎年お祝いし、二千年前にユダヤのベツレヘムにキリストが生まれ、長じて、人類の救いのために十字架の上で犠牲の死を遂げたということを、幾度となく聞き知っていても、それだけでは、主イエスさまを知っていることにはなりません。主イエスさまが本当にお生まれになる場所は、私たち一人ひとりの魂です。私たちの魂のうちにキリストを迎え、十字架を受け入れる時、クリスマスを本当の意味で知ったことになるのです。

 これは、私が今年のクリスマス行事案内のチラシに載せたメッセージです。そして、きょうはそのキリストを迎える備えのシーズンの始まりです。きょうの福音は、私たちの心備えを促すために、イエスさまが都エルサレム、その中心である神殿に訪れる話であり、イエスさまの迎え方を教える話でもあります。
 初めの1節に《一行がエルサレムに近づいて、オリーブ山のふもとにあるベトファゲとベタニアにさしかかったとき》とあり、結びの11節に《こうして、イエスはエルサレムに着いて、神殿の境内に入り、辺りの様子を見て回った》とあるように、きょうの福音はエルサレムへのイエスさまの到来とその意味を述べています。

 イエスさまは、北の果てフィリポ・カイサリア地方で弟子たちに、ご自分の死と復活を初めて予告しますが(8章31~38)、それからはひたすら都エルサレムへ向けて南下する旅でした。エルサレムは壮大な神殿のある都であり、権力の集中しているところです。イエスさまはそこで神の国の福音を語ろうとしたのでしょう。
 そしてきょうの個所でついに目的地に着いたことが記されます。それは、十字架に架けられる週の初めの日曜日のことでした。マルコの8節では《多くの人が自分の服を道に敷き、また、ほかの人々は野原から葉の付いた枝を切って来て道に敷いた》とあり、人々はイエスさまを迎えるのに、葦のようなものを道に敷いたように書いてありますが、ヨハネ福音書12章13によると、群衆はイエスさまを「ナツメヤシの枝」を打ち振って出迎えたとあります。この「ナツメヤシの枝」は、以前は「シュロの葉」と訳されていましたので、この日は昔から「シュロの日曜日(Palm Sunday 棕櫚主日)」と呼ばれています。
 北から南へと旅をしますと、エルサレム(シオンの丘)の東にオリーブ山があります。その南のすそ野にベタニア村があり、その先、エルサレムにさらに近くにベトファゲ村があります。ベタニアはヨハネ福音書11章18によると、エルサレムから3キロ弱のところにあったとあります。マルタとマリアの住んでいた村です。
 この日、イエスさまは弟子たち二人にこの村でロバを調達するように命じられたのでしょう。弟子たちが村に入りますと、イエスさまの指示どおりにことが進み、《まだだれも乗ったことのない子ろば》を連れてくることができました。
 ところで、これから超えることになるオリーブ山は、旧約聖書のゼカリヤ14章4に、《その日、主は御足をもって、エルサレムの東にある、オリーブ山の上に立たれる。オリーブ山は東と西に半分に裂け、非常に大きな谷ができる。山の半分は北に退き、半分は南に退く》とありますように、終わりの日に神の降り立つ山と謳われていました。したがって、当時の人々は、メシアがオリーブ山に来ると待ち望んでいたのです。
 ここは、オリーブ山から、王が威風堂々と軍馬にまたがって都に入る、そういうイメージの場面ですが、イエスさまの場合はそうはなりませんで、ロバに乗りました。同じくゼカリヤ9章9に、《娘シオンよ、大いに踊れ。娘エルサレムよ、歓呼の声をあげよ。見よ、あなたの王が来る。彼は神に従い、勝利を与えられた者、高ぶることなく、ろばに乗って来る、雌ろばの子であるろばに乗って》、とある通りです。
 馬は力強く、見栄え良く、戦争に役立つ動物として使われましたが、ロバは栄光を現すにはふさわしくありませんが、粗食に耐え、暑さにも強い、荷役に役立つ動物でした。ただ人に仕える、目立たない、柔和な動物なんですね。
 そのロバの中でも、まだ人に役立ったことのない子ロバが「主がお入り用なのです」と言って呼び出されます。子ロバにしてみれば、「何で私のような弱い者が呼ばれるのですか?私よりも他にもっとふさわしい人がたくさんいますのに」とでも言いたい気持ちだったのではないでしょうか。そんなふうに尻込みしたい思いは、実は使いに出された弟子たちにもあったことでしょう。自分はただのガリラヤの漁師であって、主イエスさまのご用をできるような器ではない、そんな大役は自分にはとても務まらないという思いです。しかし、主が必要としておられるのですから、その召しに従うのです。弱い私たちですが、いま子ロバとしての召しを受けているということを考えましょう。

 弟子たちと集まった人々は、子ロバに乗ったイエスさまに歓呼の声を上げます。《ホサナ。主の名によって来られる方に、祝福があるように。我らの父ダビデの来るべき国に、祝福があるように。いと高きところにホサナ》。
 この讃美の言葉は、礼拝の中で、聖餐の設定の言葉を聞く直前に歌うサンクトゥスの後半に用いられています。式文では「主のみ名によって来られる方をたたえよ。天にはホサナ」という言葉ですが、これはミサ曲ではサンクトゥス(「聖なるかな」の意)とは分けて、ベネディクトゥス(「誉むべきかな」の意)と呼ばれます。
 ホサナは、ヘブライ語のホーシャナー(「私たちを救ってください」の意)をギリシア語に音写した言葉ですが、本来の意味は失われ、「ばんざい」というような歓呼の声として使われています。
 イエスさまはロバに乗ってではありますが、オリーブ山から歓呼の声に迎えられて都エルサレムへと出発します。それは、まさに王が戴冠式に向かう姿、メシア到来の図です。期待と喜びに満ち満ちた出来事でした。

 ところが、この話の結び11節では、急にそんな熱気は冷めてしまっています。《こうして、イエスはエルサレムに着いて、神殿の境内に入り、辺りの様子を見て回った後、もはや夕方になったので、十二人を連れてベタニアへ出て行かれた》。あの歓声は城外でのことで、城内ではガリラヤから付き従ってきた弟子たちの他に気に留める者もいない、一人の参観者としてのイエスさまが描かれます。
 このギャップは何でしょうか。巨大な神殿と極小の信仰のギャップ、民衆の待望するメシア像と神から来られた本物のメシアとのギャップです。人々はダビデのような王の到来を期待していました。ローマ帝国の圧政をはねのける者、力によって平和をもたらす者、軍馬に乗って凱旋する王であるメシアを待ち望んでいたのです。
 しかし、イエスさまは、仕えられるためではなく仕えるために来た、人の救いのために自らの命を犠牲にする、力づくでなく柔和な仕方で平和をもたらす、借り物のロバに乗る、そういう本物のメシアだったのです。イエスさまは、この贖いのみわざを成し遂げるために、エルサレムに来られたのです。
 このイエスさまを王としてその背中に乗せた子ロバのように、イエスさまを自分の人生の王として迎え入れるところから、本当の平和が広がっていくのです。アドベントの季節にこのことをしっかりと心に留めたいと思います。

人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安が、あなたがたの心と思いとを、キリスト・イエスにあって守るように。アーメン

12月
12

弟子を派遣する

2011年7月3日 聖霊降臨後第3主日
マタイによる福音書9章35〜10章15節
説教:高野 公雄 牧師

イエスは町や村を残らず回って、会堂で教え、御国の福音を宣べ伝え、ありとあらゆる病気や患いをいやされた。また、群衆が飼い主のいない羊のように弱り果て、打ちひしがれているのを見て、深く憐れまれた。そこで、弟子たちに言われた。「収穫は多いが、働き手が少ない。だから、収穫のために働き手を送ってくださるように、収穫の主に願いなさい。」

イエスは十二人の弟子を呼び寄せ、汚れた霊に対する権能をお授けになった。汚れた霊を追い出し、あらゆる病気や患いをいやすためであった。十二使徒の名は次のとおりである。まずペトロと呼ばれるシモンとその兄弟アンデレ、ゼベダイの子ヤコブとその兄弟ヨハネ、フィリポとバルトロマイ、トマスと徴税人のマタイ、アルファイの子ヤコブとタダイ、熱心党のシモン、それにイエスを裏切ったイスカリオテのユダである。

イエスはこの十二人を派遣するにあたり、次のように命じられた。「異邦人の道に行ってはならない。また、サマリア人の町に入ってはならない。むしろ、イスラエルの家の失われた羊のところへ行きなさい。行って、『天の国は近づいた』と宣べ伝えなさい。病人をいやし、死者を生き返らせ、重い皮膚病を患っている人を清くし、悪霊を追い払いなさい。ただで受けたのだから、ただで与えなさい。帯の中に金貨も銀貨も銅貨も入れて行ってはならない。旅には袋も二枚の下着も、履物も杖も持って行ってはならない。働く者が食べ物を受けるのは当然である。町や村に入ったら、そこで、ふさわしい人はだれかをよく調べ、旅立つときまで、その人のもとにとどまりなさい。その家に入ったら、『平和があるように』と挨拶しなさい。家の人々がそれを受けるにふさわしければ、あなたがたの願う平和は彼らに与えられる。もし、ふさわしくなければ、その平和はあなたがたに返ってくる。あなたがたを迎え入れもせず、あなたがたの言葉に耳を傾けようともしない者がいたら、その家や町を出て行くとき、足の埃を払い落としなさい。はっきり言っておく。裁きの日には、この町よりもソドムやゴモラの地の方が軽い罰で済む。」

マタイによる福音書9章35〜10章15節


私たちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安とがあなたがたにあるように。アーメン

きょうの福音は、《イエスは町や村を残らず回って、会堂で教え、御国の福音を宣べ伝え、ありとあらゆる病気や患いをいやされた。また、群衆が飼い主のいない羊のように弱り果て、打ちひしがれているのを見て、深く憐れまれた》という、要約記事から始まります。ところで、これと同じような言葉は4章23にもあって、そこでは《イエスはガリラヤ中を回って、諸会堂で教え、御国の福音を宣べ伝え、また、民衆のありとあらゆる病気や患いをいやされた》と書かれています。マタイによる福音書の5章~7章では山上の説教と呼ばれるイエスさまの教えの言葉がまとめて集められており、8章~9章ではイエスさまが行ったさまざまな奇跡や癒しの業がまとめて書かれているのですが、4章の言葉は、これから語られるイエスさまの言行を導入する言葉として置かれており、きょうの9章の言葉は、5章から9章まで語られてきたイエスさまの言葉と業のまとめの言葉として置かれているのです。

イエスさまが町々村々を巡り歩いて、福音を解き明かし、民衆をいやしたのは、《群衆が飼い主のいない羊のように弱り果て、打ちひしがれているのを見て、深く憐れまれた》ためでした。群衆が弱り果て、打ちひしがれている様子を《飼い主のいない羊のよう》と言い表していますが、このような比喩は、福音書を書いたマタイの独創ではなくて、旧約聖書の時代の預言者たち以来の伝統的表現なのです。たとえばエゼキエル書34章です。預言者エゼキエルの時代、ユダヤ人は今のイラクに栄えたバビロニア帝国と戦って敗れ、エルサレム神殿は廃墟と化し、バビロン捕囚と呼ばれますが、多くのユダヤ人が帝国の都バビロンに捕虜として引かれていったのです。

《人の子よ、イスラエルの牧者たちに対して預言し、牧者である彼らに語りなさい。主なる神はこう言われる。災いだ、自分自身を養うイスラエルの牧者たちは。牧者は群れを養うべきではないか。お前たちは乳を飲み、羊毛を身にまとい、肥えた動物を屠るが、群れを養おうとはしない。お前たちは弱いものを強めず、病めるものをいやさず、傷ついたものを包んでやらなかった。また、追われたものを連れ戻さず、失われたものを探し求めず、かえって力ずくで、苛酷に群れを支配した。彼らは飼う者がいないので散らされ、あらゆる野の獣の餌食となり、ちりぢりになった。わたしの群れは、すべての山、すべての高い丘の上で迷う。また、わたしの群れは地の全面に散らされ、だれひとり、探す者もなく、尋ね求める者もない》(エゼキエル34章2~6)。

つまりエゼキエルは、一方で、指導者たちが良い羊飼いではなく、本来なすべき務めを果たさなかったから、このような災いが起きたのだと責めますが、他方で、悲惨な状況におかれて弱り果てている羊の群れ、すなわち民衆を主なる神は憐れんでくださると預言します。

《わたしは彼らのために一人の牧者を起こし、彼らを牧させる。それは、わが僕ダビデである。彼は彼らを養い、その牧者となる。また、主であるわたしが彼らの神となり、わが僕ダビデが彼らの真ん中で君主となる。主であるわたしがこれを語る》(エゼキエル34章23~24)。

神さまが将来良い羊飼いとしてダビデを立ててくださると言うのですが、歴史上のダビデ王自身は預言者エゼキエルよりも300年も前の人です。では、ここで言われている「わが僕ダビデ」とは誰のことでしょう。マタイは、イエスさまが《群衆が飼い主のいない羊のように弱り果て、打ちひしがれているのを見て、深く憐れまれた》と書いています。つまり、マタイはイエスさまこそが「わが僕ダビデ」として神から立てられた、イスラエルの待望したメシア、良い羊飼いであると言っているのです。ここに、私たちはイエスさまが旧約聖書のメシア預言を成就されるお方であることを見ておきたいと思います。

《そこで、弟子たちに言われた。「収穫は多いが、働き手が少ない。だから、収穫のために働き手を送ってくださるように、収穫の主に願いなさい」》。

5章~9章でイエスさまの言葉と行いによる福音宣教が描かれた後、10章に移ると、いよいよ弟子たちもまた宣教活動に送り出されることになります。これから、イスラエルの12部族を象徴する12人の弟子を福音を宣べ伝える者として送り出そうとしている場面で、その弟子たちに《働き手が少ない。だから、収穫のために働き手を送ってくださるように、収穫の主に願いなさい》と命じるのは、不自然な感じがしないでもありません。しかしここでマタイは、イエスさまが弟子たちを派遣したという過去の歴史を記録するだけでなく、これを読む自分たちの教会の人々への呼びかけをも意図しているのです。21世紀のいま、日本ルーテル教団だけでなく、世界中の教会が司祭や牧師のなり手が少なくて、牧者のいない教会が増えている実情があります。私たちの教会では、礼拝の終わりに祈る「教会の祈り」の中で、月の第一日曜には必ず「牧師・宣教師を召し出してください」と祈っています。私たち自身がイエスさまの弟子として招かれ、派遣されるにあたって、自分たちの数も力も足りないことを痛感しながらこう祈るのです。イエスさまが目の当たりにしている群衆も、そしてこの教会に集う私たちも、無力で価値がないように見えるかもしれませんが、「飼い主」と「収穫のための働き手」がいれば、豊かないのちを得、大きな実りとなるはずなのです。

《十二使徒の名は次のとおりである》と、ここで初めて「弟子」ではなくて「使徒」という言葉が出て来ました。使徒という言葉は、イエスさまの生前には使われていなかったのですが、初代のキリスト教会の指導者に対して与えられた称号となりました。ギリシア語ではアポストロスですが、特別な使命を委託され、代表者として「派遣された者」とい意味です。イエスさまの十二人の弟子たちのほか、パウロやバルナバまた主の兄弟ヤコブが使徒と呼ばれています。

ここで十二人の名が二人一組で挙げられているのは、《(イエスは)十二人を呼び寄せ、二人ずつ組にして遣わすことにされた》(マルコ6章7)ということが背景にあるのでしょう。皆さまもエホバの証人の戸別訪問とかモルモン教会の伝道者たちが二人組で活動しているのに出会ったことがあると思います。十戒の中に《隣人に関して偽証してはならない》(出エジプト20章16)という戒めがありますが、公正を期するために、証人は必ず2人以上でなければならないと定められていました(民数記35章30、申命記19章15)。

《イエスはこの十二人を派遣するにあたり、次のように命じられた。「異邦人の道に行ってはならない。また、サマリア人の町に入ってはならない。むしろ、イスラエルの家の失われた羊のところへ行きなさい》。

イエスさまご自身が「わたしは、イスラエルの家の失われた羊のところにしか遣わされていない」(15章24)と言われますから、地上のイエスさまの目は、まず第一にユダヤ人同胞に向けられていました。この限定は、復活後の派遣命令《あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい》(28章19)で取り払われます。マタイは救いの段階を考えていました。福音はまずイスラエルに宣べ伝えられるけれども、彼らはイエスさまを否定する。そのあとで異邦人への宣教が開始されるとしています。8章11~12にこうあります。《言っておくが、いつか、東や西から大勢の人が来て、天の国でアブラハム、イサク、ヤコブと共に宴会の席に着く。だが、御国の子らは、外の暗闇に追い出される。そこで泣きわめいて歯ぎしりするだろう》。

神の憐れみは、それを心から受け入れる器を求めて、ユダヤの村から遠く地の果てまで歩き回っています。教会は自分たちのためにではなく、全世界のためにあるのです。「失われた羊」は群れから離れ、孤立してしまっている人と言ってもいいでしょう。わたしたちのごく身近にも「失われた羊」がいるのではないでしょうか。

人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安が、あなたがたの心と思いとを、キリスト・イエスにあって守るように。アーメン

7月
7

三位一体の神

2011年6月19日 三位一体主日
マタイによる福音書28章16〜20節
説教:高野 公雄 牧師

さて、十一人の弟子たちはガリラヤに行き、イエスが指示しておかれた山に登った。そして、イエスに会い、ひれ伏した。しかし、疑う者もいた。イエスは、近寄って来て言われた。「わたしは天と地の一切の権能を授かっている。だから、あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい。彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼を授け、あなたがたに命じておいたことをすべて守るように教えなさい。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。」

マタイによる福音書28章16〜20節


私たちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安とがあなたがたにあるように。アーメン

 

きょうは三位一体の主日という特別な祝日です。どういう意味で特別かと言いますと、教会の暦はイエスさまの生涯における特定の出来事を記念し、お祝いするようにできています。私たちはきょうまで半年間、メシア到来の予告、イエスさまの誕生、命名、東方の博士たちの来訪、ヨルダン川での洗礼、受難の予告と十字架上の死、復活、昇天、聖霊降臨と暦をたどってきました。その歩みも終わりまして、きょうはイエスさまの特定の出来事ではなく、イエスさまの生涯、死と復活、そして聖霊降臨を祝ったあと、これらすべての出来事を振り返ってみて、父と子と聖霊なる神さまの働き全体を顧みて、いったい神さまはどういうお方なのか、三位一体の神であられるということを覚え、祝います。

ふつう、私たちはまずは、イエスさまは昔の預言者のように人々に「神に立ち帰れ」と宣べ伝える人だと思って聖書を読んでいます。しかし、イエスさまの言行を通して神を知るほどに、そのイエスさまと神とが一体であることに気づいてきます。つまり、神ご自身が人となってこの地上に降り立ってくださった、イエスさまとはそういう方なのだと信じるようになります。これが、キリスト教信仰の始まりです。では、イエスさまが私たちの視界から消えたあと、どうなったかと言うと、神の霊、復活したイエスさまの霊が、私たちひとりひとりの上に降り、聖書に書かれたイエスさまの言葉を、私自身に語りかけてくる、いま生きている言葉として聞けるように心の耳を開き、またイエスさまがいつも私と歩みを共にしてくださっていることに心の目を開かれるのです。神さまは、イエス・キリストを通してだけでなく、聖霊を通してもまた、私たちを守り導いてくださる、このことを記念し祝うのが、きょうの三位一体の祝日なのです。

聖書には、「三位一体」という言葉こそありませんが、第二朗読Ⅱコリント13章13には《主イエス・キリストの恵み、神の愛、聖霊の交わりが、あなたがた一同と共にあるように》とあり、きょうの福音マタイ28章19以下には《彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼を授け、あなたがたに命じておいたことをすべて守るように教えなさい》とあるように、神が三位一体であることを表す表現は存在します。そう考えると、きょうの第一朗読イザヤ6章3に《聖なる、聖なる、聖なる万軍の主》と、「聖なる」が三重に唱えられているのも三位一体を暗示している表現と受けとめることができるように思います。

二千年前に地上で30数年を過ごされた歴史上のイエスさまが、いまや神の座に着いている天上のキリストとして信仰の対象となっている、それがキリスト教です。イエス・キリストと日本語ではイエスとキリストが中黒「・」で結ばれているのですが、「歴史のイエス」と「信仰のキリスト」がどのように結ばれて一つであるのか、これはキリスト教の歴史が始まって以来の難問でして、今に至るまで盛んに論じられていますが、いまだに論じ尽くされることがありません。それは、牧師になろうとしていた私にとっても一番納得しにくい、理解できないポイントでしたので、神学校の卒業論文のテーマに選んで勉強しました。論文は中間報告としか言えないような代物でしたが、その当時自分なりに納得したことをまとめました。

イエスさまの直弟子たちによってキリスト教伝道は始まりましたが、しばらくはローマ帝国に信仰を禁じられた迫害の時代が続きます。しかし、その間もキリスト教はじわじわと浸透し続け、ついに313年に皇帝コンスタンチヌスは「ミラノの勅令」によってキリスト教を公認します。その後、彼はローマ帝国の広大な全領土を統一すると、あまりにもばらばらなキリスト教を統一することを目指して、325年にニケア、今のトルコのイスタンブールの近くに帝国内のキリスト教指導者を集めて会議を開きます。318人の司教が集まったと伝えられています。

このニケア公会議では、復活祭の日取りを決めたり、迫害時代に一度棄教した者の復帰のさせ方を決めたりしましたが、イエスさまの身分を確定することも大きな議題でした。当時、キリスト教は公認されたばかりでしたが、イエスさまの身分については、父なる神よりも一段低いという主張が広まっていたのです。それに対して、この会議は、神は三位一体であることを定義する「ニケア信条」を採択しました。私たちが聖餐礼拝を行なうときに唱えているニケア信条は正しくはニケア・コンスタンチノポリス信条というものであって、ニケア公会議の定めた信条に後の会議が加筆したものです。それはともかく、ニケア信条では、イエス・キリストは「神の神」であって「父と同質」であると定められました。これを受け入れる者が正しい信仰を持つ者であり、これを受け入れない者は異端として信仰者の群れから排除されることになりました。

公式的には、この定めはいまでも有効です。皆さまはキリスト教のパンフレットなどで、欄外にこう但し書きがあるのを目にしたことがあると思います。「私たちは正統的な教会であって、ものみの塔、モルモン教、統一協会とはまった関係ありません」。この文章は、ここに名を挙げた宗教はニケア信条の定める信仰箇条を受け入れていない、したがって正統的なキリスト教ではない、ということを宣言しているのです。

キリスト教は、ルーテル教会の他にも、カトリック教会、聖公会、日本基督教団、バプテスト教会などなど、いろいろな教派に分かれています。けれども、これらの教派は、三位一体の神を信じるという一番大事な点では一致しており、先ほど名が挙がったようなキリスト教系の新興宗教とは信じる中身に大きな違いがあります。

イエス・キリストの身分については、キリスト教の歴史を通じて、たえずニケア信条とは異なった理解が現われ、繰り返し分派活動が起こります。それで、キリスト教会は昔から礼拝式文の中に三位一体の教えを組み込み、礼拝するたびに繰り返し唱えることによって、礼拝する者の頭にも心にもこの理解が定着するように式文を整えてきました。あまりに身近すぎてふだんは気づかずに素通りしているかも知れませんので、きょうはご一緒に式文を検証してみましょう。

まず、礼拝は「父と子と聖霊のみ名によって、アーメン」という祝福の言葉でもって始まります。そして2頁、讃美唱は必ずグロリア・パトリを付けて唱えます。「父、み子、み霊にみ栄え、初めも今も後も、世々に絶えず。アーメン」。3頁、グロリア・イン・エクセルシスの第8段「主(キリスト)は、聖霊とともに、父なる神の栄光のうちに(います)。アーメン」。同じ頁の特別の祈りの結び「あなたと聖霊と共にただひとりの神であり、永遠に生きて治められるみ子、主イエス・キリストによって祈ります。アーメン」。ただし、これは緑の季節には「み子、主イエス・キリストによって祈ります。アーメン」という短い形を使うこともできます。続いて、5頁の信仰告白、ニケア信条でも使徒信条でも「全能の父である神を私は信じます」、「主イエス・キリストを私は信じます」、「聖霊を私は信じます」と唱えます。

後半、聖餐の部に入りまして、9頁、設定の言葉の後半「感謝の祈り」も「すべての栄光と讃美が、教会において、キリストにより、聖霊と共におられるあなたに世々限りなくありますように。アーメン」という頌栄で結ばれています。そして礼拝の最後、14頁の祝福は礼拝の初めと同じ言葉「父と子と聖霊のみ名によって。アーメン、アーメン、アーメン」で終わります。

これで、礼拝式全体が三位一体の神さまをほめ称える言葉で満ちていることが確認できたと思います。しかし、きょうはまだこれで終わりではありません。西方の教会では伝統的に、この日にはニケア信条や使徒信条に代わって、年に一回「アタナシウス信条」を唱える習慣があります。私たちもきょうはこの後、「アタナシウス信条」を交読形式で唱えましょう。この信条は、西方教会などで広く採用され、使徒信条、ニケア信条とともに基本的な信条とされています。前半で神の三位一体を述べ、後半ではキリストの「神であり人である」という二性を述べているその内容から、ニケア公会議で三位一体の信仰を守るのに功績のあったアレクサンドリアの司教、聖アタナシウスの名が冠されていますが、本当の著者は不明です。

人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安が、あなたがたの心と思いとを、キリスト・イエスにあって守るように。アーメン

6月
6

聖霊が降る

2011年6月12日 聖霊降臨祭
ヨハネによる福音書7章37〜39節
説教:高野 公雄 牧師

祭りが最も盛大に祝われる終わりの日に、イエスは立ち上がって大声で言われた。「渇いている人はだれでも、わたしのところに来て飲みなさい。わたしを信じる者は、聖書に書いてあるとおり、その人の内から生きた水が川となって流れ出るようになる。」イエスは、御自分を信じる人々が受けようとしている“霊”について言われたのである。イエスはまだ栄光を受けておられなかったので、“霊”がまだ降っていなかったからである。

ヨハネによる福音書7章37〜39節


私たちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安とがあなたがたにあるように。アーメン

きょうはキリスト教の三大祭りの一つ、聖霊降臨祭です。この日を記念して、皆さまには赤いものを身につけて礼拝に集っていただきました。ちなみに、他の二つの祭りは、復活祭と降誕祭です。教会の暦では、この三つにだけ「祭」という字がつきます。他の祝日や記念日は「昇天主日」とか「宗教改革記念日」といいうように呼ばれるだけです。

聖霊降臨の出来事は、使徒言行録2章1~4にこう記されています。《五旬祭の日が来て、一同が一つになって集まっていると、突然、激しい風が吹いて来るような音が天から聞こえ、彼らが座っていた家中に響いた。そして、炎のような舌が分かれ分かれに現れ、一人一人の上にとどまった。すると、一同は聖霊に満たされ、“霊”が語らせるままに、ほかの国々の言葉で話しだした》。

二千年前のこの日、イエスさまの直弟子たちが集まっていると、突然に激しく吹く風の音と共に、聖霊が舌の形をした炎の姿で弟子たちひとり一人の上にくだりました。赤いものを身につける習慣は、この日の出来事を覚え、私たちもまた聖霊の火の降臨を願い求め、また感謝する心を表しているのです。

「聖霊」の「聖」は「神の」という意味です。「霊」はギリシア語で「プネウマ」と言い、本来、「風」や「息」を意味する言葉です。聖霊は目に見えないので、その働きを感じさせるしるしをもって表現されますが、使徒言行録2章では「激しい風が吹いてくるような音」(2節)や「炎のような舌」(3節)がそれで。なお「舌」のギリシア語は「グロッサ」で、これは6節《だれもかれも、自分の故郷の言葉が話されているのを聞いて、あっけにとられてしまった。》の「言葉」と同じ語です。「炎のような舌」は、使徒たちに与えられる聖霊の賜物が、言葉の賜物であることを象徴しているのです。

ところで、聖霊の力を得た弟子たちは公然とキリストの福音を宣べ伝え始め、その日、新たに三千人が洗礼を受けたといいます(2章41)。聖霊降臨の日は教会の誕生日でもあります。

聖霊降臨は五旬祭の日に起こりました。「五旬祭」は旧約聖書では「七週の祭り」とも呼ばれていますが、この祭りが過越祭の翌日から数えて50日目に行われるために、五旬とか七週という名が付けられたのです。キリスト教ではこの日を聖霊降臨祭という名で呼びますが、それは日本語に限ったことで、ヨーロッパの国々では、旧約の祭りも新約の祭りもどちらも「ペンテコステ」と呼びます。これは、ギリシア語で50番目を意味する言葉をそのまま外来語として取り入れた呼び名です。

ところで、五旬祭(ペンテコステ)は、もともとは小麦の収穫を祝う祭りでしたので、旧約では「刈り入れの祭り」とも呼ばれました。私のストラを見てください。赤い地に実った麦の穂の模様がついています。しかし、この祭りは後に宗教的意味づけとして、エジプトから脱出したのちにシナイ山で神から律法をいただいたことを記念する祭りとして祝われるようになりました。

一方、ヨハネ福音書7章では、仮庵祭(かりいおさい)にエルサレムに上った際にイエスさまが大声で呼ばわった言葉を伝えています。仮庵祭は9~10月に祝われますが、元来はぶどう・イチジク・オリーブなどの果物を収穫した後の祭りで、「取り入れの祭り」と呼ばれていたものが、後に、宗教的にエジプトからの解放と沙漠の彷徨を記念する祭りとなり、その記念のために一週間、家の庭先や町はずれに仮の庵を建ててそこで暮らすので、仮庵祭と呼ばれるようになりました。ユダヤ教では最も華やかで楽しいお祭りです。

《祭りが最も盛大に祝われる終わりの日》に、大祭司はシロアムの池から金の器で2リットルほど水を汲み、ラッパが鳴る中、ぶどう酒と共に祭壇に捧げます。水は命のシンボルであるとともに、聖霊の象徴でした。イスラエルの人々は、終わりの日に、神がエルサレム神殿に降り立ち、全世界を支配される、そのときには、エルサレムが世界の中心となり、そこから命の水が四方を潤す川となって流れ出す、と信じていました。大祭司による祭壇への水注ぎの儀式は、そうした信仰を表すものだったのです。

ところが、まさにそのとき、イエスさまは立ち上がり、大声で叫んで言われました。《渇いている人はだれでも、わたしのところに来て飲みなさい。わたしを信じる者は、聖書に書いてあるとおり、その人の内から生きた水が川となって流れ出るようになる》。「渇いている人」とは、命の水すなわち聖霊を求める人、永遠の命を求める人のことです。そういう人は誰でも《わたしのところに来て飲みなさい》とイエスさまは呼びかけます。つまり、イエスさまは、命の水の源は自分だ、と宣言します。これは、ユダヤ教の終わり、新しいキリスト教の始まりを告げる言葉にほかなりません。

私たちは、イエス・キリストの十字架の死と復活と昇天を信じるとともに、そのイエス・キリストが神の右の座からの私たちに聖霊を派遣してくださることをも、今を生きる力として信じ、また待望する者とされたのです。

さきほど交読した詩編104編では、すべてのものを造り、生かしてくださる神の働きが次のように歌われていました。《み顔を隠されれば彼らは恐れ、息吹きを取り上げられると彼らは息絶え、元の塵に帰る。あなたはご自分の息を送って彼らを創造し、地の表を新たにされる》。神の霊こそが人を生かす力であり、私たちは神からの力なしには生きていけないのです。この神について、私たちはニケア信条で「主であって、いのちを与える聖霊を私は信じます」と唱えるのです。私たちのうちに住まわれる神、それが聖霊なる神です。聖霊は、私たちのうちに住むだけではなく、私たちを拠点として、そこから出てゆき、私たちの活動をとおして、他の人にも働きかけます。

それでは、聖霊は何をするのでしょうか。聖霊は、人間の心の奥に触れられるのです。聖霊は、福音が聞かれることを通してキリストと私たちとの接触を打ち立てます。絶望のどん底にあった人が神へ信頼を取り戻し、立ち上がっていくとき、あるいは、人と人の間にある無理解や対立が乗り越えられて、相互の理解と愛が生まれるとき、それは神の働きによる、または神の憐れみによるとしか言いようがないことです。神の霊が人間の心に働きかけて信頼や愛の心が呼び覚まされるのです。

聖霊はこのように働かれます。私たちは聖霊を通してキリストのものとされたことを、神の子とされたことを信仰をとおして確信させます。しかし、聖霊の働きは、聖霊が私たちの心に入ることで初めて始まるのではありません。それはイスラエルに対する、また神の教会に対する、そしてこの世界に対する神の救いのみ業、すなわちイエス・キリストの言葉と業の全体の中に始まっています。そして、そこから、その教会におけるみことばと聖礼典を通して、聖霊は個人的に私たちの中にも入ってきます。教会はまさしく聖霊から神のことばを通して生まれたのです。そして、教会はある意味でキリスト者である私たちすべての者の母であって、そこで私たちは聖霊を通して神の子に造られ、また生み出されるのです。

聖霊が心の深みに触れた後には、私たちは神に仕えて生きることを始めます。誰もが自分にすでに与えられており、また与えられるであろうさまざまな聖霊の賜物に従って自分の持ち場で仕事にかかるのです。イエスさまがヨルダン川で洗礼を受け、神の子としての活動を始めようとするときに聖霊が降ったように、また、ペンテコステの出来事でも、最後までイエスについていけなかった弱い弟子たちが福音を告げ知らせる使命を果たそうとするときに聖霊が降ったように、私たちも神からの使命に生きるために、繰り返し聖霊の働きを祈り求めましょう。

聖霊について人間は頭で理解しようとしますが、とても難しいです。聖霊の働きは、そもそも人間の考えを超えた神の働きであって、理解しがたいのです。大切なのは、聖霊を理解しようとすることよりも、私たちが神の働き・神の助けを自分の中に感じ、他の人の中にもそれを見いだし、共に神の導きに従って歩んでいこうとすることです。

人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安が、あなたがたの心と思いとを、キリスト・イエスにあって守るように。アーメン

6月
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